指揮官の“鶴の一声”で消えた再契約 戦力外通告後に2度目の悲劇「そんなぁ…」

ヤクルト、楽天などでプレーした鎌田祐哉氏【写真:尾辻剛】
ヤクルト、楽天などでプレーした鎌田祐哉氏【写真:尾辻剛】

元ヤクルトの鎌田祐哉氏、楽天移籍2年後に戦力外通告

 2000年ドラフト2位でヤクルトを逆指名してプロ入りした鎌田祐哉氏は、3年目に両リーグ1位タイの2度の完封勝利を挙げるなど先発ローテーション投手として活躍。しかし、4年目以降は伸び悩み、成績は下降線をたどった。2010年途中には楽天にトレードで移籍。ただ、新天地でも輝きを取り戻せず、2011年オフに戦力外通告を受けた。その後、再契約の話が浮上。打診を受けて正式契約を待っていたが、白紙に戻される事態が起こった。

 楽天でプレーした2年間は投げ方に悩み、試行錯誤したもののフォームが定まらず、結果も伴わない。1度も1軍のマウンドに上がることなく2011年オフに戦力外通告。「覚悟はしていました。成績を見れば、当然そうなるだろうなという気持ちもあった。でも、やっぱり現実として突きつけられると、ショックでしたね」。

 楽天の戦力外通告は、球団の寮にある面談室で淡々と行われた。「『来年は契約しません』って言われて、『分かりました』としか言えなかったですね」。ヤクルトでの9年を含むプロ生活11年目の秋。「もちろん悔しさはありましたけど、それ以上に『やりきったかな』という気持ちもどこかにありました。ただ、できるならまだどこかで野球をやりたいという思いも残っていて複雑な気持ちでした」。

 12球団合同トライアウトに向けて準備をしていたある日、楽天の球団フロントから再契約に向けての連絡がきたという。実はこの年、練習中に怪我をして離脱したことがあった。首脳陣のミスから起きた怪我だったため、球団フロントから「そういうことがあったとは知らなかった。再契約を考えている」と言われたそうだ。

再契約の約束が急転…ジュニアチームのコーチ打診も

「その年は、7人ぐらいだったと思うんですけど投手の解雇が多くて、投手が足りないような話もされて『再契約するから、少し待ってくれ』と言われました。それで待っていたんですけど……」。この後、衝撃の展開が待っていた。「1週間後ぐらいに連絡が来て、『フロントから最終確認で星野監督に伝えたら“右ピッチャーはいらない”って言われた。申し訳ないけど再契約できない』って言われました」。

 星野仙一監督に球団フロントが鎌田氏との再契約を報告すると、一蹴されたというのだ。絶対的な権力を持ったカリスマ指揮官の方針には球団フロントも逆らえなかったようである。「『えぇ? そんなぁ……』という感じでした。再契約と言われて、結構期待して待っていたので」。楽天からはジュニアチームのコーチ就任を打診されたが、単身赴任で家族と離れ離れとなっている状況なども考慮して、断りの連絡を入れたという。

 失意の中、11月24日に「ほっと神戸」で行われた12球団合同トライアウトに参加。吉報を待つことになるのだが、時を前後してヤクルト・荒井幸雄打撃コーチから電話がかかってきた。「台湾のチームでプレーするのはどう?」。ヤクルト在籍時から何かと気にかけてくれていた先輩が橋渡し役となり、鎌田氏の運命が大きく動き出す。プロ12年目は異国の地での、新たな挑戦。台湾プロ野球の統一ライオンズのテストを受け、入団が決まった。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

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