ダルビッシュに感じた”変化” 日米204勝につながった精神的成長【マイ・メジャー・ノート】

今季初勝利までの4登板のコメントに見た心の変化
7月30日(日本時間31日)のメッツ戦で今季初勝利を挙げ、日米通算204勝目で黒田博樹氏を抜き日本選手歴代最多勝利を更新したダルビッシュ有投手。春先に発症した右肘の炎症などから復帰が7月にずれ込んだ。不安と戦いながら臨んだ復帰5登板目で、7回2安打無失点の快投を演じた右腕は、3つの奥義を駆使して前人未到の領域に踏み込んでいった。その3つ目は感情調節の妙にあった。【全3回の3回目】(取材・構成=木崎英夫)
高質な技術の粋と豊かな投球知を結集させて日米通算で歴代最多勝利を更新したダルビッシュ。2012年のメジャーデビューから可視化できない精神は大きく成長している。右肘の炎症から復帰した7月7日(同8日)からの4登板のコメントからも心の推移は見て取れる。
○7月7日(同8日):復帰登板(ダイヤモンドバックス戦)
「諦めたことも何回もあった。医学的にちょっと難しいんじゃないかというところではあった」
○7月12日(同13日):復帰2戦目(フィリーズ戦)
「1日1日無理せずにというか。でもあんまりゆっくりし過ぎず、いいバランスをちゃんと見ながら怪我なく後半戦を投げたい」
○7月19日(同20日):復帰3戦目(ナショナルズ戦)
「(先を見据えるのではく)もう今にかけてますよ。きょうで100%でいきたいと思って投げているし、そんなゆっくりゆっくりっていうふうにはまったく考えてない」
○7月24日(同25日):復帰4戦目(カージナルス戦)
「すごく勝ちたいという気持ちは強いけれど、それができてないのでファンの方にもチームにも非常に申し訳ないと思っている。けれども、ずっと考え込んでも仕方ない」
そして、269日ぶりの復活から5登板目で金字塔を打ち立てたダルビッシュはこう言った。
「良くも悪くも最近は感情でバーッて揺れないので。自分が苦しかった時の気持とかって覚えてられないというか、いろんな気持ちが日々あるので。要約されていくから思い出せない、細かく思い出せないというのがあるんです」

メジャー挑戦でダルビッシュが感じた「天国」と「地獄」
ダルビッシュの歩みを思うとき、ラテン語由来の名言が立ち上がってくる――「漂えど沈まず」。一つの苦難を乗り越えるとまた次の苦難が襲ってくるという険しい道を右腕はブレずに歩き続けてきた。
メジャー2年目の2013年、13勝と両リーグ最多277奪三振を記録してサイ・ヤング賞投票で2位に入った。しかし、2015年春に右肘の靭帯修復手術を受けると、カブス移籍初年度の2018年は右肘痛でシーズン序盤に離脱。本人はこの時期を「地獄」と称している。一方、「5先発登板連続で無四球&8奪三振以上」の新記録を作った2019年をダルビッシュは「天国」と表現する。
それでも気持ちの更新に難しさを感じたこともある。
パドレス移籍1年目の2021年、本拠地での古巣カブス戦だった。日本のヒップボーカルグループ・GRe4N BOYZ(2024年3月まではGReeeeN)の『道』が音響担当者に渡されていた。久しぶりに流れる登場曲に背中を押されまっさらなマウンドに向かったダルビッシュは「僕がカブスですごくつらいときに使い始めたので、その時を思い出しました」と明かしている。
リハビリ中に愛聴した曲はあったのだろうか――。復帰2戦目の登板後に、素朴な疑問をダルビッシュに当てると「いや、ないですね。あんまり普段聴かないので、音楽を。それどころじゃなかったというところが正直あったので」と淡々と話した。精神的に骨太となった確かさを感じる。

金字塔にも「チームが勝ちましたというだけ」
書き進めるうちに筆者の気持ちを横切った光景がある。
2016年の春、右肘靭帯修復手術から1年が経過し、本格的な投球練習の再開を待つ身だったダルビッシュが同僚投手のブルペンを見学中の一コマだ。手にしたボールに親指と人差し指で輪を作り、イメージするチェンジアップの握りを探していた。投げられないプルペンの片隅で来るべき日に備える姿には強く心惹かれた。
あれから9年、バランスのいい見事な投球で金字塔を打ち立てたダルビッシュ。偉業と今季初勝利を天秤にかけると質量はどちらにあるかを問われると、自らの経験に徹頭徹尾寄り添ってきた男はさらりと言った。
「まぁ今季初勝利ですかね。でも、それもあんまり思わないというか、単純に投げました、チームが試合に勝ちましたというだけなので。個人的な勝利とかはもう近年はあまり考えないんでね」
今月16日で39歳になる。偉大な野茂英雄の12年を超えて日本人投手最長となる実働13年目のシーズンに達成した偉業にも「黒田さんとか野茂さんのようなピッチャーではないと思うので。数字がどうとかじゃなくて、本質的に近づけるようにこれからもしていきたいなと思います」と、さらなる意欲を高めている。
ダルビッシュ有は8月5日(同6日)、敵地ダイヤモンドバックス戦で次の白星を強い気持ちで取りにいく。
○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
1983年早大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続けるベースボールジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模高野球部OB。
(木崎英夫 / Hideo Kizaki)