「一番こたえた」10失点炎上も…10年後に生きた“経験” 2軍降格直前、響いた監督の言葉

乾真大さんは2022年に現役引退し、同年12月から母校・東洋大のコーチに
日本ハム、巨人で通算74試合に登板した乾真大さんは、独立リーグ・神奈川FDに所属していた2022年8月に現役引退を表明し、同年12月から母校・東洋大のコーチに就任した。NPB時代には、優勝も長い2軍生活もトレードも戦力外も経験。10失点を喫した試合もあったが、その全てが指導者としての礎となっている。
2022年はチームの主力に君臨し、最速149キロをマークしていた。2018年から独立リーグに身を置き、「どんどんうまくなっていた」という中でユニホームを脱ぐことを決断。「バンバン投げていたときに東洋大のお話をいただいて。僕は独立に行ったときからワクワクしたいと思っていた。母校のコーチのお話なんてなかなかいただけるものではないので、チャレンジしたいなと思ったんです。ワクワクするオファーをいただいたので、引退して東洋大に行くことを決めました」。
実はプロ入り当初は、指導者は「一番向いていない。絶対無理だと思っていた」という。しかし独立リーグで兼任コーチを務めた頃から、後輩たちがよくなるために尽くせる自分に気が付いた。心がけるのは「邪魔しないこと」。自分で考えることも求めながら、豊富な経験を還元している。
乾さんが在学していた2007~2010年は、6度のリーグ優勝を果たし、全日本大学野球選手権や明治神宮野球大会でも優勝するなど“黄金期”だった。しかし直近2年間は1部と2部の入れ替えを繰り返している。乾さんは「僕は学生時代に結構いい思いをさせてもらったので、優勝っていいよというのを味わってほしい。いい経験をさせてあげたいというのはあります」と言葉に力を込める。
「やりがいとか充実とかそんなのではなく、勉強させてもらっています」
プロ時代に数々の指導者からもらった言葉にも影響を受けた。プロ3年目だった2013年4月29日のオリックス戦(札幌ドーム)。先発した中村勝が打者2人で危険球退場となり、乾さんが緊急登板した。3回70球を投げ10安打10失点の大炎上。「何やってもダメだったんです。カンカン打たれて」。防御率は12.10となり試合後、栗山英樹監督に呼ばれて2軍落ちを告げられたが、このときのやり取りを忘れたことはない。
「あんなに打たれて、栗山さんも怒ればいいのに『乾はまだできるから。これを10年後、後輩たちに伝えられるような人になろう』と言ってくださったんです。だいたい2軍に落ちるときはカッとなっているので監督の言葉って全然頭に入ってこないんですけど、この日は100%僕に落ちる原因があるのにそう言ってくださったんですごく覚えているんですよね」
ちょうど10年後、コーチとして歩み始めた乾さんはこの経験を後輩たちに伝え、ミスや失敗の原因を探す大切さを説く。NPB7年間で「一番こたえた」という苦い記憶も、今の乾さんにとってはなくてはならなかった時間。「本当に栗山さんの言った通りになっています。すごいなと思います」と笑った。
時期にもよるが、朝5時の練習開始に合わせて4時過ぎに起きる日々。ナイターが多かったプロ野球時代とは真逆の生活も「今のこの仕事がすごくいいです。学生ってちょっとしたことですぐに変われるので、そういう学生の力も感じながら、やりがいとか充実とかそんなのではなく、すごく勉強させてもらっています」と目を輝かせる。思い描いた通りの、ワクワクする毎日を送っている。
(町田利衣 / Rie Machida)