命じられた“近所迷惑”な自己紹介「ベランダに出てきて」 ドラ1入団も…屈辱すぎる1年目

南海、広島などでプレーした加藤伸一氏【写真:山口真司】
南海、広島などでプレーした加藤伸一氏【写真:山口真司】

加藤伸一氏は合宿所「秀鷹寮」でプロ生活をスタート

 ホークスOB右腕でもある加藤伸一氏(KMGホールディングス硬式野球部監督)は鳥取・倉吉北高から1983年ドラフト1位で南海入りした。高卒1年目から1軍で先発も中継ぎも抑えも経験したが、大阪・堺市中百舌鳥にあった合宿所「秀鷹寮」での生活などグラウンド外での出来事も忘れられないという。当時はいろんな意味で厳しい環境下にあった。電話番、満員電車、肝試し……。思い出の“キーワード”はいくつも出てきた。

 鳥取・倉吉市出身の加藤氏は高校まで自宅から通学しており、寮生活は初体験だった。「まぁ、いろいろありましたけど、僕らの時は電話番が一番大変でしたね。1年生が順番にやるんですけど、ピンク電話が2台、赤電話が3台。10円を入れるでかいヤツです。あれが鳴るんですよ。次から次へと。当番になったら夕方5時から夜の10時半まで、ずーっとです」と苦笑しながら振り返った。

「例えば『畠山(準)さん、おられますか』って電話が入ったら『はい』と言って各部屋のブザーがあるんで畠山さんの部屋のブザーを押して『降りてこられるのでちょっとお待ちください』と保留にしたら、また電話が鳴って『はい、秀鷹寮です。あ、誰々さんですね。ちょっとお待ちください』って感じでね」

大荷物を抱えて満員電車移動「しんどかった」

 デーゲームがほとんどのウエスタン・リーグの試合の時は移動も一苦労だったという。「チームのプロテクターなどキャッチャー道具、全員のヘルメット、ボールやマスコットバットを僕らが持っていかなきゃいけないんです。あの頃は用具車もなかったし、バス移動でもなく、電車に乗ってね。あれはしんどかったですよ。近鉄戦が藤井寺球場だったら、中百舌鳥から藤井寺まで、日生球場なら森ノ宮まで。阪神戦なら浜田球場、甲子園球場、阪急戦なら西宮球場。近鉄電車や阪神電車や阪急電車に乗り換えてね。それを往復ですから……」。

 時間的に行きは朝のラッシュ時にかぶり、満員電車での移動にもなった。「そりゃあ大きな荷物ですから、周りの人からは嫌がられましたよ。なので『すみません、すみません』って言ってね。暑くて、暑くて途中、梅田で(大阪名物の)ミックスジュースを飲んだりもしましたね。今みたいにペットボトルを持つってこともなかったし……」。

 南海の2軍本拠地だった中百舌鳥(なかもず)球場の近くでは「“肝試し”みたいなこともやらされた」という。これは加藤氏にとって大恩師の当時、南海1軍投手コーチの河村英文氏のアイデアによるもの。「度胸をつけさせるために、球場の周りにある団地の奥さんたちに向かって大声で自己紹介するんですよ。『団地の皆様! ベランダにちょっと出てきてください! 私、加藤伸一。今年、南海に入りました。どうぞよろしくお願いします』って感じでね」。

1軍で負けたら屈辱の“罰走”「今だったらアウト」

 これはマスコミ受けを狙ったことでもあったそうだ。「だって、そういうことをするとマスコミもまた喜ぶじゃないですか。(記事で)扱ってもくれるしね。南海はマスコミも少なかったし、英文さんはそんなことまで考えていたんですよ」。似たような発想で、1軍では負けた時に“屈辱指令”を出されたこともあったとのこと。「鉢巻きして南海の旗を差して(1軍本拠地の)大阪球場内を走るんですよ」。若手投手にだけ課された“罰走”だった。

 それもただ走るだけでなく、電車ごっこのような手の動きをいれながら走るように言われたそうだ。これにもマスコミが飛びつく。「恥をかかせて度胸をつけるってヤツ。今だったらアウトでしょ。ハラスメントもいいところでしょ。それを楽しくやる投手もいましたけど、嫌がる投手もいましたよ。僕もあれは嫌でしたね」。時代が違うと言ってしまえば、それまでだが、当時はいろいろと大変なことも多かったわけだ。

「いつだったか、川崎球場のロッテ戦の試合前に英文さんからロッテの稲尾(和久)監督のところに行って来いと言われたことがあった。その日、僕、先発だったんですよ。『何をしゃべるんですか』と聞いたら『今日先発する加藤です。よろしくお願いしますと言え』って。これも肝試しだって。で、稲尾さんのところに行きましたよ。『河村コーチに行ってこいと言われました、今日先発する加藤です』って。『いい、いい。わかったから帰れ』と言われましたけどね」

 河村氏は別府緑丘高でも、西鉄でも稲尾氏の先輩にあたる。その関係もあってのことで「英文さんに『(稲尾監督は)何て言っていた?』と聞かれて『試合前だからいいから帰れって言われました』と言ったら『うん、そうか』ってそれだけ。そういう人でしたけど、まぁ度胸はつきましたね」と加藤氏は笑う。

 南海でプロ1年目から33登板、5勝4敗4セーブ、防御率2.76と活躍した加藤氏だが、その裏では多くのことも乗り越えていた。いいことも悪いことも、楽しいことも苦しいことも、今となってはすべてが忘れられない思い出になっている。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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