高卒で1軍33登板→昇給わずか100万円「ひどい話」 契約更改に愕然のドラ1…決めていた保留

南海、広島などでプレーした加藤伸一氏【写真:山口真司】
南海、広島などでプレーした加藤伸一氏【写真:山口真司】

1年目の後半戦は抑えに抜擢…初セーブもマークした加藤伸一氏

 南海からプロ人生をスタートさせた加藤伸一氏(KMGホールディングス硬式野球部監督)は2年目の1985年、9勝11敗1セーブと活躍した。鳥取・倉吉北から入団したドラフト1位右腕は1年目に5勝4セーブをマークしており、さらにジャンプアップして注目を集めた。この年は開幕戦にリリーフし、翌日の開幕2戦目には先発して完投勝利と、異例の連投から始まった。「あれもよくわからなかったですね」と苦笑した。

 倉吉北時代は不祥事続きで公式戦登板が3試合しかなかった加藤氏だが、プロでは1984年の1年目から主にリリーフで33試合に登板した。5月5日のロッテ戦(大阪)では3番手で投げてプロ初勝利。5月11日の阪急戦(西宮)でプロ初先発(7回1/3、3失点で敗戦投手)するなど、先発も3試合経験した。シーズン後半には抑え投手としても起用され、7月31日の西武戦(大阪)ではプロ初セーブをマークした。

「抑えには(1979年、1980年に2年連続パ・リーグ最優秀救援投手に輝くなど)実績あるアンダースローの金城(基泰)さんがいるのに(1軍投手コーチの)河村(英文)さんに『後半は抑えで行くからな』って言われて、『えー』って思いましたし、嫌でしたよ」。その年のオフに金城は左腕・中条善伸投手との交換トレードで巨人に移籍。加藤氏をストッパーに抜擢した裏にはいろんな思惑も絡んでいたようだが、プロ1年生は黙々と与えられたところで投げるだけだった。

「結構、肘とかはパンパンでしたよね。たまに痛くもなったりしましたが、あの頃は大した処置もしませんしね。まだアイシングの時代じゃなかったし……。登板後は温めていましたもんね。湿布もカンカンかなんかからペンキみたいなのを塗って、バリバリになって、コンクリートみたいにね」。今では考えられないことも、当時はそれが当たり前。何の疑問も持つことなく、マウンドに上がり続けた。

 1年目は5勝4敗4セーブ、防御率2.76。オフの契約更改では最初の提示額がわずか100万円アップで保留した。「いろいろ先輩から、こうした方がいいよとかアドバイスもあってね、印鑑を持っていっていませんでした」というが、厳しい金額に愕然となったのは言うまでもない。2度目の交渉で、少しだけ上乗せしてもらってサイン。「まぁひどい話でしたよね」と納得はしていなかったが、気持ちを切り替えるしかなかった。

「調整もクソもない」開幕戦でまさかの指令

 迎えた2年目の1985年。加藤氏はキャンプ、オープン戦を乗り切って、開幕1軍の座をつかんだ。開幕2戦目の4月7日の阪急戦(西宮)の先発も決まった。ところが、前日4月6日の開幕戦にもベンチ入り指令が出た。「先発は山内(孝徳)さん。昔は調整もクソもないじゃないですか。『中継ぎとして待機しとけ』って言われて登板もあったんです」。投手を使い切ってのやむを得ずの出番でもない。6-6の8回無死二塁の場面での3番手でのマウンドだった。

 1イニングを投げたが、味方エラーで勝ち越され、試合は負けた(敗戦投手は2番手の井上祐二投手)。「予定通り、明日は行くからな」と2戦目にも普通に先発した。そして連投のハンデもなんのその、6安打4失点のプロ初完投勝利をやってのけた。「地元の倉吉からバス何台かで後援会の方々が応援にきてくれた。それは覚えていますけど、(連投に関しては)あれも何かよくわからなかったですね」。当時は指示通りに投げただけ。あまり深くも考えていなかったのかもしれない。

 ただ、この連投で印象に残っていることが、ひとつあるという。「河村(英文)さんに『“前の日のリリーフは自分が志願しました”と新聞記者には言っときなさい』と言われたんです。あの頃ね、英文さんに“マスコミにはこう話すように”というのがけっこうあったんですよ。評論家も経験されていて、どう言えば、マスコミが扱ってくれるとか、よくわかっている方だったんでね」。

 加藤氏にとって河村投手コーチは大恩師。プロで成功できたのも、その存在があってのことで、とても感謝しているが「今考えたら、ひどい使われ方でしたよね」と苦笑する。「南海だったからチャンスに恵まれて、実績を若いうちに積めたからこそ、僕はプロで21年間もできたのかもしれない。だけど、肩、肘も手術したし、最初からそうじゃなかったら(通算92勝より)もっと勝てたかなというのもある。まぁ、そればっかり振り返ってもどうしようもないですけどね」。

 プロ2年目の加藤氏は表向き、志願ということになった異例の連投スタートから波にも乗った。6月17日の近鉄戦(大阪)でプロ初完封勝利をマークするなど、前半戦だけで8勝を挙げた。監督推薦でオールスター出場も果たした。西武・渡辺久信投手、日本ハム・津野浩投手とともに19歳トリオと呼ばれるなど、甘いマスクで人気も急上昇。一気にスターへの階段を駆け上がった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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