鷹戦力外→セ移籍で得た“充実” 試合中にまさかの悪夢も…「バレなかった」

ダイエー、広島などでプレーした加藤伸一氏【写真:山口真司】
ダイエー、広島などでプレーした加藤伸一氏【写真:山口真司】

加藤伸一氏は広島移籍1年目にカムバック賞「新鮮な1年でした」

 ダイエーを戦力外となり広島入りした加藤伸一氏(KMGホールディングス硬式野球部監督)は移籍1年目の1996年、カムバック賞に輝いた。開幕から先発として活躍し25登板、9勝7敗、防御率3.78の成績を残した。当時の広島指揮官・三村敏之監督も大絶賛した切れ味鋭いシュートがうなった。一時は11.5ゲーム差をつけていた巨人に逆転優勝の「メークドラマ」を許したのは無念だったが、ダイエー時代とはひと味違う「新鮮な1年でした」と振り返った。

 テスト入団からの見事な復活劇だった。ダイエーラストイヤーの1995年は早々に見切りをつけられ、1軍登板なしに終わった加藤氏だが、広島移籍1年目の1996年は、開幕から1シーズンを通して先発ローテーション投手として活躍した。2試合目の4月17日の横浜戦(広島)で7回無失点投球。ダイエー時代の1994年7月14日、オリックス戦(福岡ドーム)以来、643日ぶりに勝利投手となり、以降、コンスタントに白星を積み重ねた。

 光ったのはシュートだ。三村監督も事あるごとにマスコミに対して「加藤の、あのシュートはいいよね」と褒めちぎっていた。「相当投げましたからね。もうこれでもか、っていうくらい。(捕手の)西山(秀二)に『お前、シュート好きやな』って言いましたよ。あれだけ投げるようになったのはカープにいってから。シュート、シュート、スライダー、シュート、シュート、スライダー、カーブ、真っ直ぐ外……。西山もようリードしてくれました」。

 シュートを武器に打者に向かっていくスタイルが確立された。「僕も投げていて思うけど、あの時の自分みたいなピッチャーが今、欲しいし、現れないかと思いますもんね。球が速いどうのこうのじゃなくてね」。投げれば、投げるほど手応えをつかんでいったのだろう。開幕前に左太腿肉離れを発症したまま、投げ続けていたが、そんなマイナス材料も全く感じさせなかった。しかも、この年はシーズン中に、もう1箇所、負傷していた。

 それは2480日ぶりの完封勝利を挙げた5月14日のヤクルト戦(神宮)でのこと。9回裏、ヤクルト5番打者の古田敦也捕手の打球が左手首に直撃した。試合は、そのまま投げてゼロで抑え切ったが、状態は明らかによくなかった。「もう痛くて、痛くてね。それが何日も……」。左太腿肉離れの時は、トレーナーにだけ告げて、首脳陣には内緒にしてもらったが、この時は誰にも伝えなかったという。

「知り合いに病院を紹介してもらってレントゲンを撮ったら骨折でした。完璧に折れていました」。利き腕でなくても、いろんなところに影響を及ぼす。離脱を防ぐために隠し通すことを決めた。「テーピングして(痛み止めの)薬を飲んでね。でもバットは振れなかった。まぁ、バントは大丈夫だったし、振ることもそうそうないじゃないですか。バレなかったですよ」。トレーナーには治った後の夏頃に報告し、驚かれたそうだ。

痛恨だった投手に許した本塁打、忘れぬ巨人の“メークドラマ”

 広島1年目は、そんなアクシデントも乗り越えたわけだが、何よりも右肩が全く問題なかったのが大きかった。「これまで(のホークス時代)は怪我のために、違和感のために、痛い中で、ごまかしながら投げて評価されてきた。本当の俺ってこんなもんじゃないのに、こんなんで評価されるのって何か嫌だなって思いながらも、その力を披露できないのが辛かった。でもカープ1年目は肩に痛みはないし、投げれば結果がついてくるし、もう楽しくて、楽しくて……」。

 この年の広島は前半戦を首位で快走しながら、夏場以降に失速して、長嶋茂雄監督が率いる巨人に大逆転Vを許した。7月9日の巨人戦(札幌円山)で広島先発の紀藤真琴投手が9連打を浴びて敗れたのが、きっかけと言われるが「その次の日(7月10日)には俺が(巨人投手のバルビーノ・)ガルベスにホームランを打たれて負けた。そこからメークドラマが始まったんです」。優勝の大チャンスを逃した無念の結果だったが、それもまた悔しさとともに思い出になっている。

「紀藤が悪い。俺が悪い。(先発には)近藤(芳久投手)もいて、みんな同級生。“きっと(紀藤)、勝とう(加藤)、今度(近藤)”、“勝とう、今度、きっと”、“今度、きっと、勝とう”……って、(1軍投手コーチの)川端(順)さんに『どの順番でも、この3人の(先発ローテ)並びはよくないですよ。語呂が悪いですよ』なんて言ったりもしていましたけどね」と笑みを浮かべながら、懐かしそうに振り返った。

 ダイエー戦力外の翌年に広島で先発投手として9勝をマークし、カムバック賞を受賞。まだまだ投げられたことを数字で証明し、古巣を見返すことができた。「セントラルで、テレビもジャイアンツ戦が全国で映るしね。最初は必死でしたけど、広島で上手に生活もできたと思う。あの年は結構充実していましたよね。新鮮でした」。巨人の“メークドラマ”によるV逸以外は大満足の1年だった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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