巨人から2位指名確約「1位は決まっている」 外れ1位で阪神入団…実った相思相愛

元阪神の湯舟敏郎氏が振り返るドラフト会議
野球評論家の湯舟敏郎氏は1990年のドラフト会議で阪神に1位指名され、社会人野球・本田技研鈴鹿からプロ入りした。8球団が入札1位で競合した亜大の左腕・小池秀郎投手(ロッテが交渉権獲得→入団拒否)の外れ1位だった。事前に複数の球団スカウトから上位での指名を示唆されたそうだが「関西に戻りたいと思っています」と伝えていたという。そういう意味でも阪神は希望球団であり「うれしかったですね」と当時を思い起こした。
大卒社会人2年目のドラフトイヤーだった1990年、湯舟氏は本田技研鈴鹿のエースとして7月の都市対抗野球大会に出場し、1回戦のNTT北陸戦で完投勝利を挙げるなど、プロスカウト陣から注目左腕と評されるようになった。ようやくプロを意識しはじめ「その頃から、ドラフトにかかるのだったらプロに行こうかなぁって感じだったと思いますね」と語る。
その年の本田技研鈴鹿は10月の社会人野球日本選手権大会(グリーンスタジアム神戸)にも3年ぶりに駒を進めた。初戦(2回戦、10月15日)はNTT関東に5-4。湯舟氏が勝利投手だった。連投で挑んだ準々決勝(10月16日)の東芝戦では打ち込まれ、0-11の7回コールド負けで敗戦投手になったものの、もはやプロからのドラフト上位候補との評価は不変だった。「スカウトの人たちが球場などに見に来られていたのはわかっていました」。
直接ラブコールも受けた。「初めてお会いしたスカウトはダイエー(現・ソフトバンク)の方でした。その次が阪神だったかなぁ」。両球団には縁があった。「本田の高橋監督が法政出身。当時のダイエー・田淵(幸一)監督も黒田(正宏)ヘッドも法政だし、黒田さんは鈴鹿ではなく和光ですけど本田出身ですしね。阪神は田丸(仁)スカウトが法政。僕の奈良産大時代の監督の新田(泰士)さんが(阪神)岡田(彰布)さんの(早大時代の)後輩というつながりもありました」。
さらに巨人、中日などからも声がかかった。「巨人のスカウトからは2位でと言われました。1位は元木(大介内野手、上宮卒)で決まっているからって。まぁ、2位というのもリップサービスだった可能性はあると思いますけどね。中日のスカウトの方からは『うちに来る気があるかぁ』みたいな軽いタッチで言われたような気がします」。そんななか、意中の球団は、口にこそしなかったが阪神だった。
阪神が外れ1位で指名「うれしかったですよ」
「ある人に相談したら、阪神は低迷しているし、(試合に)出られる可能性も、もしかしたら、高いんじゃないか、ピッチャーの若返りも当然図るだろうしって言われたんですよ。それとやっぱり、僕の恩師の新田さんが、(当時阪神の)4番打者だった岡田さんを知っているというのも大きなことでした。だからといって僕が岡田さんとしゃべれるわけじゃないんですけど、そういう方がいらっしゃるっていうだけでね」
大阪府・貝塚市出身の湯舟氏は、ダイエーにも巨人にも中日にも「関西に帰りたい気持ちはあります」とやんわり伝えていたそうだ。「ダイエーは一番はじめに1位で、って言ってくれて契約金の話もありました。でも、それがあまりに大きなお金すぎて嘘じゃないかと、かえって疑り深くなったんです。自分はそんな選手ではないと思っていたんで……。僕だけじゃなく他の候補の人にも同じようなことを言われていたとは思いますけどね」。
関西希望なら阪神以外に、近鉄、オリックスも候補になるが「近鉄からは電話があったかもしれませんが、オリックスからは話がなかった」という。「阪神は担当スカウトが久保(征弘)さんで、何位とかは言われず、なるべく早く指名する、みたいな感じだったと思います」。この年のドラフト超目玉は亜大の左腕・小池で阪神も獲得を目指しており、湯舟氏は外れ1位候補としてマスコミにも報じられていた。
そんななか11月24日のドラフト会議を前にしてロッテから誘われたという。「確か前日くらいに電話がかかってきて、1位で行くかもって言われたと思います。そこでも『関西に帰りたいので』って話はしたんですけど、あの時はちょっとだけ指名されるんじゃないかって思っていましたね」。そう思えるようなスカウトの話しぶりでもあったのだろうが、ドラフト本番では阪神もロッテも1位で小池を指名。8球団の抽選でロッテが、その交渉権を引き当てた。
ロッテは湯舟氏を1位入札予定だったのを金田正一監督が切り替えたと言われている。それで運命は変わった。当時は抽選で外れた球団は奇数順位の場合、ウエーバー方式となり、外れ1位は、同年セ最下位の阪神が1番手で湯舟氏を指名した。「阪神になってうれしかったですよ」。ドラフト前はどこに指名されるのか分からない不安な気持ちもあったそうだが、ふたを開ければ願い通りの結果。同時に人気球団・阪神のドラフト1位としての“闘い”も幕を開けた。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)