“岸田オリックス”を「借金で終わらせたくなかった」 水本ヘッドの胸中…結束した深夜のMTG

オリックスは岸田新監督のもと3位でAクラス入りを果たした
オリックスの水本勝己ヘッドコーチが、岸田護新監督のもとでAクラス入りを果たしたことに安堵するとともに、敵地で戦うクライマックスシリーズ(CS)で得た経験を選手たちが成長につなげてくれることを願っている。
「監督を“借金”のまま終わらせたくなかった。2位ならもっとよかったのでしょうが、監督自身もいい経験ができると思うし、若い選手たちも野球人としてその場に立てることはいい経験になる。みんながいろんな経験をして、いい選手になっていいチームにするのが目標なんで」。紅林弘太郎内野手の2ランで3位を確定させた翌日、水本ヘッドが一気に想いを吐き出した。
水本ヘッドは岡山県出身。松下電器(現パナソニック)から捕手として1989年ドラフト外で広島に入団。長く2軍監督を務め、ウエスタン・リーグ優勝、ファーム日本選手権で日本一に導くなど、広島のリーグ3連覇に貢献した。2軍での対戦などを通じて親しく「僕と野球観が同じ」と公言した中嶋聡前監督が1軍監督に就任する際に請われてヘッドコーチに就任した。「勝つ喜びを知ればチームは変わる」との思いから、常に大きな声で厳しい言葉を投げかけ選手たちを鼓舞し、補佐役としてリーグ3連覇に導いた。
5位に終わり中嶋監督が退任した際、辞任も考えたが「『弱いから辞める』という考えは、昔からちょっと違うと考えていました。僕自身、結果が悪くても真剣に向き合ってきましたから、またやらせてもらえるならもう1度トライしなくてはいけないと思うようになりました」と、新監督を支えることを決めた。
オリックスで5年目の今季、スタートダッシュに成功したが、投打にけが人が相次ぎ優勝争いから後退。9月には楽天が迫ってきた。そんな危機感の高まりが、首脳陣を変えた夜があった。9月13日のソフトバンク戦(京セラドーム)で2‐0の9回に逃げ切りに失敗して2連敗、ソフトバンク戦には6連敗を喫した。4位の楽天も敗れ5ゲーム差は変わらなかったが、ミーティングを終えたコーチ陣が帰宅のため地下駐車場に姿を現したのは午後11時近くだった。
あるコーチは「なぜミスが起こったのかというところを突き止め、負けたことをどう次の試合につなげるかが大事。そういうところは、もう1回ちゃんと話し合いながらやっていかなくてはいけないと、改めて気付かされた」と話した。これまでも、試合後のミーティングは行われてきたが、残り試合が20試合を切った中で首脳陣の結束が改めて固まった瞬間だった。
岸田監督、水本コーチは「僕みたいな若造をサポートしないといけない」
そんな中で、水本ヘッドの動きにも変化が生まれた。ベンチ内で岸田監督の隣に立つのは、攻撃中は齋藤俊雄戦略コーチ、守備中は厚澤和幸投手コーチの二人。作戦面と投手起用を補佐する両コーチが岸田監督の隣でテレビに映るのは当然だったが、水本ヘッドが画面に映り込む機会が増えていった。
「自分は来た時から、一生懸命、チームを強くするという思いは一緒。チームを強くする中でも過程はあり、言葉では言い表せない部分があるのですが(外部から)コーチ陣が結束しているとみてもらえるのはうれしい」と変化を否定する水本ヘッド。しかし、ある選手は「ベンチでの声も大きくなって、やっとヘッドがヘッドらしくなってくれました」と変化を証言する。
岸田監督も、変化を感じる1人だ。「まあ、感じますね。僕が新米監督で、当然、ヘッドの方が経験値は高いですし、僕みたいな若造のことをサポートしないといけないというところも考えてくれているでしょうし。ここまでは言い過ぎてもアカン、こいつのためにならないというのも、ヘッドの中に多分あると思うんで。いろんな感情の中で、動いていてくれるでしょうから、いろいろ感じはします」
10月1日で57歳の誕生日を迎えた水本ヘッドは、岸田監督より13歳年上。平均年齢43.9歳の1軍コーチ陣ではもちろん最年長。「チームというのはいろんなことが起こるんです。いいこともあるだろうし、嫌なこともあるだろうし。でもそれを経験できるのがプラスなんで。みんなで話し合いながらそういう経験を通して、Aクラス入りや優勝できるようにチームを強くしたいのが僕個人の思いなんで」。ポストシーズンも、首脳陣が結束して戦う。
〇北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者一期生。関西運動記者クラブ会友。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。
(北野正樹 / Masaki Kitano)