岡田彰布から愛ある“イジリ”「お前、知っているかぁ」 偉業達成の舞台裏…阪神元ドラ1の感謝

阪神ドラ1左腕の湯舟敏郎氏は2年目にノーノー達成
背水の登板での快挙だった。阪神ドラフト1位左腕の湯舟敏郎氏(野球評論家)はプロ2年目の1992年6月14日の広島戦(甲子園)で史上58人目のノーヒットノーランを達成した。5月に3試合連続でKOされ「次に打たれたらファームに落ちるだけ。思い切っていこう」と開き直って投げた結果でもあった。そんな偉業の裏には岡田彰布内野手と木戸克彦捕手からの言葉巧みな“アシスト”もあったという。
1年目は虎のドラフト1位としての注目度の高さゆえに、周囲からの視線を常に気にせざるを得なかったが、2年目になって“解放”された。「(1991年)ドラフト1位で萩原(誠内野手、大阪桐蔭高)が入ってきて、気分が全然違いましたね。(1989年ドラフト1位で1歳年下の)葛西(稔投手、法大)にも、ちょっと聞いていたんですよ。『2年目はすごく楽になりました』って。ああ、本当やなぁって、それを思い出しましたね」。
自主トレ、キャンプ、オープン戦を乗り切って、開幕5戦目の4月9日の巨人戦(東京ドーム)に先発。7回1失点でシーズン1勝目をマークした。「何でもがむしゃらに力いっぱいやらないといけないと考えた1年目より、少しは余裕を持てたっていうのはあった気がしますね」。4月を2勝1敗、防御率1.88で終え、5月4日の巨人戦(甲子園)では2安打2失点完投で3勝目を挙げた。
しかし、ここから調子を崩した。5月10日の広島戦(甲子園)は3回1/3、4失点、5月20日の巨人戦(東京ドーム)は3回1/3、5失点、同30日の巨人戦(甲子園)は3回3失点と3試合連続でKOされた。「ファームに落ちるかな、落ちるかなって感じで、それが自分の中ではすごく怖くて……。3試合(KOが)続いた時は、ああ、これでもうファームに行くことになるんやろうなぁと思っていんですけど、かろうじて(1軍に)残してもらえて……」。
この時に2軍落ちしなかったのが、結果的に大きかった。6月4日の広島戦(広島)は先発ではなく、3-4の3回から3番手で登板して3回1失点。「リリーフで投げて、調子がよかった。(投手コーチの)大石(清)さんに『今日ぐらいの球だったらいいよね』みたいなことを言ってもらえたと思います」。次の登板で先発に戻った。それがノーヒットノーランの偉業を達成する6月14日の広島戦(甲子園)だった。
この時はもう2軍落ちを怖がらずに、やれるだけやろうと気持ちを切り替えたという。「試合前のブルペンでも調子が良かったし、思い切って投げて、打たれたらしょうがないなぁって何か吹っ切れた感じ。割り切って(試合に)臨んだのを覚えていますね。(捕手の)木戸さんからは1回とかじゃなく“バッターひとりずつ、1アウトずつとっていこうや”っていうような声かけをしてもらった。“あ、それはそうやなぁ”と思えたのが、あの試合でしたね」。
フォーク、スライダーなどを巧みに使っての123球。11三振を奪い、2四球と振り逃げの走者を出しただけだった。9回2死からの正田耕三内野手の打球は中前に抜けそうな当たりだったが、二塁の和田豊内野手が好捕し、間一髪アウトでノーノーを成し遂げた。「最後、正田さんになった時に、あと1人だし、できるんかなぁって思いましたけど、そこまではそんな思いもなかったんですよ」。
岡田&木戸の言葉が「非常に大きな力になった」
快挙の裏にあったのが岡田と木戸からの“アシスト”だった。阪神打線は4回に2点先制、5回には真弓明信外野手の3ランで5-0としたが、まずはその5回のことだ。「僕がアンダーシャツを着替えようとしたら、岡田さんが来てくれて『お前、知っているかぁ、まだ(安打を)打たれていないぞ!』って。それは僕も知っていたんですけど『えー、そうですか!?』なんて言ったら『まぁ頑張れよ』って」。ここから、このシーンが毎回繰り返されたという。
「次の回(6回)も抑えたら、また岡田さんが来て『お前、知っているかぁ。まだ打たれていないぞ!』って。5回にそう声をかけたから、また行かなアカンと思ってくれはったと思うんですよね。毎回、8回の裏まで来てくれました。『まだ打たれてないぞ!』って。もう優しさですよね」。湯舟氏には、それがありがたかった。「あの時は、気分的にも誰かにしゃべってもらう方が楽だったんです」。
加えて木戸からは“熱いゲキ”を飛ばされていた。「木戸さんは『俺は高校時代(PL学園)、大学時代(法大)、阪神と全部、日本一になった。でもノーヒットノーランはしたことないから、お前、絶対打たれるな。(ノーストライクで)ツーボールになったらフォアボールを出してもいいから絶対打たれるな!』って。最初は“えっ、そんなプレッシャーをかけるの?”って思いましたけど、そう言ってもらうことで、それも何か楽になったんですよ」。
無安打のまま回が進み、ベンチの雰囲気は明らかに変わり始めていた。「誰も僕に声をかけようとしないなかで、木戸さんは、もう何か笑かしたろう、くらいなもんだったんですよね。あのケースは“絶対打たれるな”という方が、僕が楽になるやろうっていうことで、言ってくれはったんやと思います」。試合は8回に新庄剛志外野手のソロアーチが飛び出し6-0となったが、湯舟氏は“岡田&木戸効果”で9回2死まで淡々と投げられたわけだ。
プロ2年目の“背水登板”で記録したノーヒットノーラン。「(先発では)3回続けて(4回持たずに)ノックアウトを食らっていたので、まずは完投、完封をできた嬉しさがものすごくありました。その上、ヒットを打たれなかったってことで……。まぁ、僕を世に出してくれたゲームでしたよね」と話すが、この偉業を振り返れば、やはり忘れられないのが岡田と木戸の言葉ということなのだろう。
「もしもあの時、誰からも何も言われなかったら、僕は勝手に意識していたかもしれない。岡田さんと木戸さんの、お二人からの言葉は非常に大きな力になったと思っています。お二人のおかげと言っても間違いではない。それがなかったら違う結果になっていたと思う」。湯舟氏は改めて感謝の言葉を口にした。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)