長野久義が引退会見「若い選手に託す」 坂本だけに相談…2軍生活で悟った限界、今後は「大学院に」

丸の人的補償で広島移籍も…無償トレードで巨人復帰
巨人の長野久義外野手が14日、東京都内で引退会見を行った。16年の現役生活を終える40歳が胸中を語った。冒頭では「16年間プロ野球選手として大変お世話になりました」と挨拶した後に「このたび、私はユニホームを脱ぎ、大学院に進学することにしました」と語り、第2のキャリアとしてスポーツマネジメントを学ぶことを明かした。
引退を決意した理由については「今シーズンはファームで時間が長かったですし、その中で若い選手と一緒にプレーして……そろそろかなと思った自分もいましたし、まだまだと思った自分もいたけど、若い選手に託して引退することを決めました」と説明。同僚の選手への相談は「(坂本)勇人にしかしていなかった」と明かした。
2012年に最多安打のタイトルを分け合った坂本の存在については「僕がルーキーのとき、キャンプの部屋が隣。いろいろ教えてもらって、公私共に過ごした。野球選手として尊敬する部分がある。僕になかった努力の才能を勇人は持っていると思いました」と言及。「2012年以来、(巨人が)日本一になれていないので、日本一になってほしいと思ってしますし、まだまだ若いので、もう一花、ふた花も咲かせてほしい」とエールを送った。
プロでの思い出を問われると「プロ野球って簡単と思ってしまった自分がいたんですが、そう甘くない世界でした」とコメント。続けて「代打逆転サヨナラ満塁弾がすごく思い出に残っているけど、内海さんの最多勝もかかっていたので、すごく思い出に残っています」と振り返った。
日大時代の2006年ドラフトでは日本ハムから大学・社会人の4位指名を受けたが、巨人を希望していたために入団を拒否。社会人のHondaへ進んだ。2008年ドラフトではロッテから2位指名ながら、Honda残留を決断。“巨人愛”を貫き翌年の1位指名でジャイアンツの一員となった。当時を問われると「言えないことも多いですけど……今考えると大変だったなと思っています」と苦笑しつつ「ファイターズ、ロッテの皆さんに指名して良かったと思ってもらえるように、必死に成績残すためにやってきた野球人生。周りに恵まれて最高に幸せの野球人生でした」と語った。
ルーキーの2010年から活躍し打率.288、19本塁打、52打点で新人王に。2011年には首位打者(打率.316)、2012年には最多安打(173本)などスター選手としてチームを支えた。
2019年からはFAで巨人に入団した丸佳浩外野手の人的補償として広島へ移籍し、4年間プレー。当時を「カープで過ごした4年間は僕の野球人生のなかでとても大切な時間。人間関係を構築していくところがすごく大変で、僕は人見知りでしたし。気がつけば、ジャイアンツと2倍の仲間ができた素晴らしい時間でした」と振り返った。
2022年オフに無償トレードで巨人に復帰した。近年は若手の成長もあり、出番は減少。今季は1軍で17試合の出場で打率.136、本塁打と打点はともにゼロに終わった。
巨人の今季最終戦となったDeNAとのクライマックスシリーズ(CS)ファーストシリーズ第2戦では、試合が行われた10月12日に出場選手登録され、ベンチ入りするも出場機会はなかった。16年のプロ生活で通算1512安打、打率.280、163本塁打、623打点。99盗塁という成績を残し、勝負強いベテランはユニホームを脱ぐ。
阿部慎之助監督には「若い頃からかわいがっていただいて、自主トレも一緒にやらせていただいて、一番近くで見てきた先輩。今年、悔しい思いをして、監督を勝たせられなかったのは残念です」とコメント。若手に対しては「とにかく楽しく野球をやってほしいですし、今はインターネットでいろいろと文句言われる時代ですけど、そこは気にせずにやってほしいと思います」とエールを送った。
(Full-Count編集部)