呼ばれ始めた「松坂大輔の弟」 兄は国民的ヒーローに…恭平氏の葛藤「憧れはずっとあった」

横浜高3年の夏、甲子園決勝でノーヒットノーランを達成した松坂大輔氏【写真提供:産経新聞社】
横浜高3年の夏、甲子園決勝でノーヒットノーランを達成した松坂大輔氏【写真提供:産経新聞社】

松坂恭平氏は大輔氏の2歳弟…現在は野球グラブなどを製作

 兄は瞬く間に日本中のヒーローとなっていった――。株式会社ONE4ALL代表取締役として、独自のスポーツブランドを手掛けている松坂恭平氏がポッドキャスト番組「Full-Count LABー探求のカケラー」に出演。横浜高時代に甲子園春夏連覇を達成した2歳上の兄、松坂大輔氏の存在と向き合った当時の心境を語った。

 恭平氏が都立校の野球部での1年生のとき、大輔氏はエースとして甲子園で大活躍。フィーバーは過熱する一方で、恭平氏にとっては気がつけば兄が日本中を沸かせるスターになっていた感覚だったという。「これは悲しい話でも何でもないんですけど……」と前置きした上で「僕はその時ぐらいから“松坂恭平”というより“松坂弟”になっているんですよね。本人(大輔氏)が、めちゃめちゃ注目されているので、何者でもない僕まで取材をされるっていう……」。戸惑いは拭えなかった。

 学校内でも「お兄さん、松坂大輔なんでしょ?」といった声を次々とかけられる。まだ15歳には受け入れ難い現実で「本当に嫌でした」と回顧する。さらに野球部に所属しているだけに、兄との比較の声にも反発心を抱いた。

「勝手に比較して、弟の方が下手くそみたいなことは勝手に決めつけんなよって思っていました」。高校1年生だった恭平氏にとっては「僕には2年の猶予があるんですよ。もしかしたら高3の夏、僕の方がすごい可能性があると思っていたので」

「Full-Count LABー探求のカケラー」に出演した松坂恭平氏【写真:編集部】
「Full-Count LABー探求のカケラー」に出演した松坂恭平氏【写真:編集部】

 葛藤は日常生活にも表れていた。野球部のバッグに「松坂」の刺繍が入ることにも抵抗感を覚え、部室にあった見知らぬ先輩「吉田さん」のバッグを使い続けた。「面倒くさいので。“松坂”って書いてあると。ずっと吉田さんのバッグを使っていました。だから僕、吉田なんですよ」と笑った。

 それでも野球を嫌いになることはなかった。「単純に近い人がプロ野球選手だっていうのはあるので。憧れというのはずっとありました。プロ野球選手になりたいっていう」。恭平氏は高校の野球部から法大でも野球を続け、独立リーグでもプレーした。偉大な兄の背中を見続けた恭平氏の野球人生。NPB球団に入ることはできなかったが、現在も野球界へ貢献するために活動している。

【実際の音声】兄・大輔氏との比較は「すごく嫌でした」 恭平氏が語る「松坂の弟」と呼ばれることへの“抵抗感”

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