心抉られた“引退勧告” 丁寧な封書に美しい文字…感じた阪神ファンの本気度「腰砕けた」|球界群像 湯舟敏郎#18
阪神などで活躍した湯舟敏郎氏【写真:山口真司】湯舟敏郎氏は低迷時代の阪神で2年連続“最多敗戦”投手に
阪神低迷時の主力左腕・湯舟敏郎氏(野球評論家)は1995年13敗、1996年14敗と2年連続セ・リーグ最多敗戦投手の屈辱を味わった。その間のチームはいずれも最下位。「あの時は負けを引きずりましたね。いつも打たれるんじゃないかって……」。今で言うクオリティスタート(6回以上、自責点3以内)で投げ終えても敗戦投手になれば責任を感じ、それが次の試合にも悪影響を及ぼした。ファンから封書で“引退勧告”を受けたこともあったという。
プロ5年目、1995年の湯舟氏は2年連続で開幕投手に指名されたが、思うような成績を残せなかった。33登板、5勝13敗1セーブ、防御率3.96。常に黒星先行の悪い流れを断ち切れなかった。シーズン前半までで中村勝広監督が休養し、後半戦からは藤田平2軍監督が1軍監督代行を務めたが、チームは最下位に沈んだ。13敗はこの年のリーグ最多敗だが、阪神では藪恵壹投手も13敗(7勝)だった。
「今から考えたら、あれだけ負けて、よう僕を使ってくれたなって思いますけどね」。それがプロ6年目の1996年も続いた。この年は開幕2戦目の4月6日の巨人戦(東京ドーム)に先発し、打線の援護を受けて6回4失点でシーズン1勝目をマークした。2登板目の4月13日の広島戦(甲子園)は7回4失点で敗戦投手になったが、3登板目の4月21日の巨人戦(甲子園)では6回2失点で2勝目と白星先行。だが、その後は黒星を増え続けていった。
結局、1996年は29登板、5勝14敗、防御率4.84と、前年よりさらに精彩を欠いた。14敗は、2桁勝利の11勝を挙げながら14敗を喫した藪とともに2年連続リーグワーストの不名誉。チームも2年連続最下位で、シーズン終盤には藤田監督が休養し、柴田猛チーフ兼バッテリーコーチが監督代行に就任する事態にもなった。「(5勝)14敗ですもんね。ひどいですよね。いやぁ本当によう使ってくれましたよ。感謝しかないですね」と湯舟氏は改めてしみじみと話した。
立場変わってのしかかる責任「自分に過度な期待をしていた」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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