広島スターの妻が「これ飲みなさい」 必死に通い詰めた日々…名捕手が忘れぬ“縁”

元広島・達川光男氏【写真:山口真司】 
元広島・達川光男氏【写真:山口真司】 

達川光男氏は小5で初捕手を経験「希望したわけではない。嫌々ですよ」

 それも運命だったのか。元広島捕手の達川光男氏は広島市出身で少年時代からカープファンだった。カープ本拠地の広島市民球場にもよく行ったそうで「うどんがおいしかった。それも楽しみだった」という。そんな中「一番好きだった選手は古葉(竹識)さん」と明かす。後に広島で、監督と選手の関係になるとは思ってもいない頃の話だが、当時は古葉氏の自宅までサインをもらいに出掛けていたという。

 達川氏は広島市立牛田小学校時代に町内対抗のソフトボール大会に出場。1966年の小学5年時は捕手だったという。「希望したわけではない。嫌々ですよ。ひとりだけ5年生から(試合に)出ていたから、やれって言われてね。他は6年生だから。みんなキャッチャーをやるのを嫌がっていたんだよ」。自身が6年の時は投手だったため、5年時限定のことだが、振り返れば捕手としてはそんな形でプレーしたのが最初だった。

 球技が好きで、小学校ではサッカーにも熱を入れたそうだが、同時に夢中になったのが、プロ野球・広島カープだ。「あの頃は広島でもテレビ中継は巨人戦。だから巨人ファンも多かったけど、ウチは兄貴も親父もカープファンだった。近所にも熱狂的な人がいて、カープがサヨナラ負けとか逆転負けとかしたら、『クソっ負けやがって』ってラジオを思いっ切り投げていた。1度、アパートの4階からテレビを投げた人までいましたよ」。

 そんな“環境”も関係したのだろう。達川氏も自然とカープファンになっていった。「市民球場にもよく行った。親父が誰かから券をもらってバックネットから見たこともあった。昔は7回から外野を開放してくれてね。あのセンターのうどんがおいしかったんですよ。うどんを食べるのも楽しみだった。そのために(新聞配達の)バイトをしていたようなもんですよ」と笑った。そして「一番好きだったのは古葉さんでした」と語った。

「1番セカンド・古葉。足が速くて首位打者を争って…」

「1番セカンド・古葉。足が速くて(1963年に巨人の)長嶋(茂雄)さんと首位打者を争って、結局(タイトルは打率.341で)長嶋さんが取るんだけど、(リーグ2位の打率.339の)古葉さんのこともその頃からすごいなぁって思いはじめた」。サインをもらいに自宅にも行ったという。「古葉さんは私が通っていた小学校から歩いて5分くらいのところに住んでおられた。でね、古葉さんが昼過ぎに(家を)出ることは知っていたからね」。

 給食を食べたあとの昼休みの時間に学校を抜け出しては、古葉邸に行っていたそうだ。「昔は校庭から出てもまぁ、関係なかったですからね。必死に走っていったよ。行ったら、古葉さんが当時CMに出ていた飲みもの(乳酸菌飲料)を奥さんがいつもくれた。『坊や、これ飲みなさい』って。古葉さんがいなくてもくれるんですよ。『明日来なさい』って。何かあれを飲みに行っていたようなもんだったなぁ」。

 1977年ドラフト4位で達川氏は東洋大から広島入りするが、その時の監督が古葉氏。カープを日本一に導く名将の下で鍛えられていくが、その“縁”は、それより10年以上前から始まっていたことになる。「入団してしばらくして1軍に定着してから(監督に)その話をしたけど、あまりにいっぱい(の子どもが)行っていたから、子どもたちが来ているのは知っておられたけど、私の存在は知らなかったですよ。“飲みものをもらいました”って言ったら『そうかぁ』って……」。

“カープの思い出”はほかにもいっぱい。「外木場(義郎)さんの完全試合(1968年9月14日、大洋戦、広島市民球場)も見たし(1970年ドラフト1位の)佐伯(和司投手、広陵)、永本(裕章投手、同2位、盈進)、金城(基泰投手、同5位、此花商)の(同期高卒)三羽カラスを投げさせるというオープン戦も見に行った」などと話した達川氏だが、古葉邸“突撃”の日々はなかでも忘れられない出来事でもあるようだ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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