巨人から“強奪”した目玉選手 「獲れなかったらクビ」指令から見つけた突破口…つながった現在

ダイエーなどでスカウトとして活躍した石川晃氏【写真:尾辻剛】
ダイエーなどでスカウトとして活躍した石川晃氏【写真:尾辻剛】

元ダイエー編成次長の石川晃氏、小久保獲得の裏側を説明

 5年ぶりの日本一を達成したソフトバンクは今や12球団屈指の戦力を誇るが、南海、ダイエー時代は20年連続Bクラスなど低迷期が続いていた。テコ入れのために招聘した根本陸夫監督とともにチーム改革の一端を担ったのが、編成次長を務めていた石川晃氏である。根本の右腕として、後に主力となる井口資仁、松中信彦らをドラフトで獲得。常勝ホークスの礎を築いたが、その第1弾だった現監督の小久保裕紀の獲得は困難を極めたという。

 根本監督1年目の1993年はドラフト制度で大きな動きがあった。大学生と社会人の選手は、希望する球団を宣言することができる逆指名制度(後に自由獲得枠制度、希望入団枠制度に名称変更)が初めて導入されたのである。

 戦力の均衡を考慮して1球団2人までとなっていたが、スカウトの仕事には変化が生じる。石川氏は「それまでスカウト同士で麻雀をやりながら『あのチームの投手はどう?』など情報交換をしていたこともありました。でも逆指名ができて変わりましたね。スカウトの腕の見せどころの時代になった」と振り返る。

 逆指名初年度の目玉選手だったのが青学大のスラッガーである小久保。激しい争奪戦は巨人が大きくリードしていたという。ある日のスカウト会議で球団フロントから「小久保は獲れないのか?」との声が上がったが、担当スカウトは「ダメです。もうジャイアンツに決まっています」と返答。「そんなんでいいのか! 誰か小久保を獲れるやつはいないのか?」と怒声が飛び「いけるかもしれません。いきます」と手を挙げたのが石川氏だった。

 数日後、石川氏は浜松町のダイエー本社に呼び出されたそうである。中内功オーナーから、次男の中内正オーナー代行の出身大学を問われ「青学大です」と答えると「青学大にいい選手がいるそうじゃないか」と畳みかけられた。「『獲れなかったらクビだ』と言われました。『他のスカウトと一緒に動かなくていい、私の命令で動きなさい』と。立場は特命スカウトでした」。オーナー直々の厳命を受け、本格的に動き出した。

 青学大に何度も足を運んで河原井正雄監督らに探りを入れるが、巨人が深く食い込んでいるのは明らかな状況。「小久保本人に誰が影響力を持っているのかを探りました」。大学関係者はもちろん、両親や親戚、高校時代の監督などあらゆる方面をリサーチ。たどり着いたのがシニア時代の指導者で、ダイエー職員にその指導者の友人がいる運もあった。

 幼少期に両親が離婚している小久保は母親のもとで育つ中、シニア時代の指導者が進路先など親身になって相談に乗っていた時期があったという。まさに当時、小久保が最も信頼を寄せていた人物の1人だったのである。携帯電話はない時代。職場に電話をかけて約束を取りつけ、酒を酌み交わしながら深夜まで熱意を伝え、説得に成功した。

1位ではなく2位に激怒「長嶋さんも許しませんよ!」

 その人物に巨人が接触していないことで見いだした突破口。石川氏は大胆な計画も遂行する。逆指名制度が導入されていた時期(1993~2006年)は、球団と大学・社会人選手の事前接触が公に認められており、事実上の“事前交渉”が行われていた。

 巨人は長嶋茂雄監督が小久保と面会したという情報をキャッチ。負けじと中内オーナー、根本監督ら球団トップが勢ぞろいしたイタリアン料理店での食事会に小久保を、なかば強引に招いたのである。「小久保は巨人に傾いていましたけど、身動きがとれないような状況を作りました」。徐々に外堀を埋め、形勢を逆転していった。

 こうして取りつけた小久保の逆指名。ただ、話はこれで終わらない。1球団2人まで可能だった逆指名。1位は根本監督が懇意にしている神奈川大の右腕・渡辺秀一だったのである。小久保は2位。納得いかない石川氏はドアのノックも忘れるほど興奮して監督室に乗り込み、根本監督に食ってかかった。「何で渡辺が1位なんですか? 小久保が2位っておかしいでしょ! 世間が許さないし、長嶋さんも許しませんよ!」。

 球団の方針を覆すことができず、小久保はドラフト2位で入団。「根本さんに、相当の貸しがあるなぁ」と回顧した。翌年の春季キャンプで石川氏は食事をともにした小久保に「裕紀、いろいろゴメンな。ジャイアンツ行った方が幸せだったかもな」と声をかけたという。その返答は「雰囲気見ると、これからのチームですし、入団して良かったです」というものだったそうだ。

「『それならここで頑張って。将来は監督をやるんだから』と話しました。まさに今、そうなっていますよね」。剛腕を発揮したスカウトは現状に目を細めつつ、こう続けた。「中内功オーナーから直々の指名でしたから、プレッシャーはありました。いい仕事はできたけど、きつかったです」。逆指名導入年に繰り広げられた水面下での激しい攻防。今では考えられないようなドラマがあった。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

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