松井秀喜が伝えた「ありったけ」の感謝 長嶋茂雄が天国から導いた33年の偶然と永久の絆

東京ドームで読み上げた“2度目のお別れ”
33333本の花が敷き詰められた祭壇。その前に立った教え子は、静かな笑みとともに口を開いた。ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄さんのお別れの会が21日、東京ドームで静粛に行われた。巨人で活躍し、ヤンキースGM付特別アドバイザーを務める松井秀喜氏の言葉は聞く者の胸に静かに刻まれた。
「監督。監督へのお別れの言葉は、これで2回目です。同じ方に2度、お別れの言葉を伝えるのは、人生で最初で最後だと思います。それも長嶋茂雄だからですね」
冗談めかしつつも、声は少しだけ震えているようにも聞こえた。
「今日は監督が最も愛した場所、東京ドームです。隣にあった後楽園球場、この東京ドームは監督の色々な感情が今でも刻みこまれており、ここにいると、それを感じます。また監督に会えたような気がして、嬉しいです」
長嶋茂雄の舞台とも言える場所で伝える別れは、教え子にとって最も自然で誇らしい形だった。
読み上げられた言葉には、1992年11月21日のドラフト会議という原点にも触れる一文があった。ミスターは松井をくじで引き当て、満面の笑みでサムズアップした。
そして、監督時代の背番号を連想させる33年後の11月21日。教え子は指揮官に託された場所に立ち、その場所で別れを告げた。
「監督が私の守備位置として指定し、いつも守っていたこの東京ドームのセンターで、今、お別れの言葉をお伝えしています」
積み重ねてきた信頼そのものが、会場の空気を支えていた。

溢れ出た“感謝”とこれからの「お願い」
長嶋茂雄さんは6月3日に肺炎のため、89歳でこの世を去った。5日後の告別式での弔辞ではあえて言わなかった思いがあった。しかし、この日、ついに放たれた。
「(感謝を思いを)伝えると、監督があっという間に遠くへ行ってしまう気がして……。しかし、今日はあのドラフト会議からちょうど33年。私自身の気持ちに区切りを付けるためにもお伝えします」
そして、溢れるように感謝の言葉が続いた。
「私をジャイアンツに導いてくださりありがとうございました。大きな愛情と情熱で接していただき、ありがとうございました。たくさんのことを授けていただきありがとうございました。胸を張って“自分の師は長嶋茂雄だ”と言える幸せをありがとうございました。監督によって私の野球人生は美しく彩られました」
言葉には長年寄り添ってくれた師へのまっすぐな敬意と自分を育ててくれた“出発点”への誇りが込み上げていた。そのフレーズの重みが、会場の空気に静かに広がっていった。
さらに、もう一つの願いが続いた。
「私の心の中に入り込み、私との対話に付き合ってくださればうれしいです。私はこれからも、自分の心の中の長嶋茂雄と話し合いながら私なりの道を進んで参ります」
師弟の絆が時を超えて続く証だった。そして最後は、未来への願いを託した。
「そしてこれからも長嶋茂雄しか持っていない偉大な光で、ジャイアンツと日本野球の未来を照らし続けてください」
偶然の一致が導いた言葉
式後、代表記者による会見で松井氏は言葉の背景を語った。
「少し前に11月21日が私のドラフトの日だったと気付きまして。ちょうど33年前だということにも気付きまして。これは触れなくてはいけないと思いました」
祭壇の位置も偶然だった。
「数日前に『監督の祭壇がどっちにあるんですか? って聞いたんです。センター側なのかホームベース側なのか?』。それでセンター側と聞いたんで。これも触れなくちゃいけないと思いまして(笑)。考えてきました」
ドラフトの日、センター、33年──すべてが自然と繋がった感覚だった。それは、天国の長嶋監督がそっと舞台を整え、静かに糸を引いていたかのような連なりだった。
「なんか監督が合わせてくれたんじゃないんですか」
それらが一つに重なり、教え子に言葉を紡がせた。そして、教え子自身も、最後にそれを悟って、その導きに身を委ねた。
物語は終わらない
また、松井氏はこの日の言葉に込めた“区切り”について静かに語った。
「ありったけの感謝の気持ちを伝えさせていただきました」
長い年月の中で胸に積もり続けた想い。気持ちを整理し、ようやく真正面から恩師に届けることができた。また、長嶋茂雄という存在を改めて問われると、言葉を続けた。
「かけがえのない存在、監督の人間性ってのもあるんですよね。男同士で愛するっていうのもおかしいんですけど、やっぱり、自分の最もね、愛する人なんじゃないかなと思います」
長い年月を共に歩んだ者だけが口にできる、静かでまっすぐな思いだった。
ミスターは、亡くなってなお、物語を動かす人だった。節目の日を選び、球場を選び、縁を整える。お別れ会にはOBも関係者も、ファンも皆が見えない何かに背中を押されるように足を運んだ。
現場にいた筆者もそうだった。多くの懐かしい再会にも恵まれた。導かれたように、同じ顔ぶれが東京ドームに集まっていた。
それは、長嶋茂雄という人が生涯をかけて紡いできた縁を、この日もう一度、静かに結び直したから。まるで今も“演出”をしているようだった。今日も物語をつくっていた。
その物語はこれで終わりではない。教え子の歩みと巨人軍の歴史、そしてファンの胸の中で、静かに息づき続けていく──永久に。
(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)