「いい加減にしろ!」 暴飲暴食でまさかの“大増量”…コーチから落とされたカミナリ

元阪神・中込伸氏【写真:山口真司】 
元阪神・中込伸氏【写真:山口真司】 

4年目で球宴初選出…スターとの対面よりも「夜が楽しくてねぇ」

 阪神で活躍した右腕・中込伸氏(西宮市甲子園七番町「炭火焼肉 伸」店主)はプロ4年目の1992年にオールスターゲーム初出場を果たした。シーズン前半を終えて6勝6敗ながら、防御率は1.95と安定感が光った。球宴では第2戦(7月19日、千葉)に全セの2番手で登板して2回1失点と無難な投球を見せたが、実はその後、阪神首脳陣から大目玉を食らったという。体重を5キロも増やしてチームに合流したからだった。

 この年の中込氏は開幕4戦目の4月8日の巨人戦(東京ドーム)で2回までに4失点しながら立ち直り、打線の援護も受けて勝利投手になって、流れをつかんだ。6月2日の広島戦(岡山)では1失点完投で6勝目。9回に1点を失ったが、8回までは無安打投球だった。前半戦の勝ち星は、そこでストップしたが、その後も6月19日の巨人戦(甲子園)に2失点完投負け、6月25日の大洋戦(横浜)は9回無失点で勝ち負け関係なしと、好調をキープした。

「真っスラがあるので、左バッターにはアバウトに投げても打たれないという自信があった。右バッターにアバウトに投げたらホームランになりましたけどね」。実際、右打者が苦手でヤクルト・広沢克己内野手にはよく打たれていた。「広沢さんはね、すごく僕に優しかったんですよ。『あいつ、(打ちやすくて)いいわ』って思って優しくしてくれたのかなぁ」とジョークを飛ばしつつ「左打者が多いチームにはよく勝っていたと思いますよ」と笑みを浮かべた。

 巨人戦も意識したという。「あの頃、ジャイアンツ戦は山梨では午後7時から放送だったから、まず7時までは投げないといかんなって、いつもそう考えていましたよ。だからね、投げるペースもちょっと遅かったはずですよ。7時までを考えて、ゆっくりやっていましたから」。そう思えるほど、余裕もあったということだろう。そんな前半戦が評価されて、監督推薦でのオールスターゲームにも初選出された。

 当時22歳。セ、パ両リーグのスター選手に交じって、緊張しそうなものだが、中込氏は「そんなのない、ない」とあっさり。「ヤクルト(投手)の岡林(洋一)さんとキャッチボールをしたんですけど、すごい回転のいいボールだなぁっていうのは印象に残っていますけどね。(球宴で)いろいろ勉強っていうか、まぁ、若者ですから、スター選手と一緒にできただけでよかったですよ」と淡々と話した上で「それよりもね、夜が楽しくてねぇ」と豪快に笑った。

焼き肉→宮城でウニを“爆食い”…「汗を流せば2日酔いもとれた」

 その年の球宴は第1戦甲子園、第2戦千葉、第3戦仙台のスケジュール。千葉の時は東京に宿泊したそうで「その時は焼き肉、もう脂っぽいのバンバン食った。でね、宮城でウニがうまかったんですよぉ、殻付きのウニをスプーンでブワーっと食べて、もうとにかく食べ物がおいしくて、おいしてくてね。もちろん、飲みにも行くし、今では考えられないかもしれないけど、球場で汗を流せば2日酔いもとれましたしね」。

 中込氏は第2戦に2番手で登板し、2回1失点。西武のオレステス・デストラーデ内野手と近鉄・ラルフ・ブライアント外野手の強打者2人からは三振も奪ったが「まぁ、お祭りですしね」と言い「その日以外は投げないし、練習もしないし、いいわー、これ、いいわーって感じでしたよ。で、その間に5キロ太りました。そりゃあ、あれだけ飲んで、食べていたら、すぐ、そうなりますよね」。球宴を終え、阪神に合流した時は当然の如く、首脳陣から雷を落とされたそうだ。

「(阪神1軍)トレーニングコーチの山本晴三さんに『お前なぁ、いい加減にしろよ!』ってメチャクチャ怒られました。僕はそういう自己管理ができない選手だったんですよ」と反省しきりだが、当時は、そんな感じで突き進んでしまったわけだ。結果的に中込氏がオールスターに出場したのは、その年だけだっただけに、いい、悪いは別にして球宴といえば、どうしても“おいしい思い出”ばかりが先に来るようだ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY