苦しんだ鈴木誠也との比較「社会に不満を」 戦力外から4年…元ドラ1の葛藤、そして芽生えた夢

元広島ドラ1の高橋さんが語ったプロ野球人生
野球を辞めても重圧はまとわりついた。気持ちを切り替えるのに数年はかかった。「同級生が行くところまで行っているので。ずっと言われて、嫌になったこともありました」。2012年ドラフト1位で広島に入団した高橋大樹さんのそばには常に同年の2位入団、カブス・鈴木誠也外野手の存在があった。
6日に北九州市民球場で行われた「THE LAST GAME 2025」。引退を決断した選手のセレモニーを兼ねた“最後の試合”。高橋さんはEASTの一員として参加した。観戦に訪れた母の前で左中間への二塁打を放つなど勝利に貢献。「有耶無耶で辞めるみたいな形で引退したので、本当にありがたいなと思います」と顔を綻ばせた。
京都・龍谷大平安から高校通算43本塁打の実績を引っ提げて、プロの舞台へ足を踏み入れた。ただ現実は厳しく、1軍出場は49試合、1本塁打に留まった。2021年は2軍でも後半に入ると代打での起用が増えた。「覚悟はしていましたよ。使われ方で分かりますしね」。予想は当たり、オフに戦力外通告を受けた。
同年の12球団合同トライアウトはコロナ禍もあり12月に開催された。すでに戦力外から1か月が経過。各球団の来季の戦力構想が着々と固まる中、NPBから声はかかっていなかった。参加はしたものの本音を言えば、「正直気力がなかった。気持ちはもう切れていましたね」。社会人野球のオファーがあったが、現役引退を決断した。
一般企業に就職も「社会に不満を持ちながら…」
同年、鈴木は2度目の首位打者を獲得しオフに渡米。その後は、メジャー屈指の打者となった。引退後も“同期のドラ1”の肩書は高橋さんを苦しめた。大阪で一般企業に就職したが、気持ちを切り替えるのには時間がかかり、職を転々とした。「社会に不満を持ちながら暮らしていましたね(笑)。今まで自由に野球をやってきたんだとは思いました」。
「取材も全部断っていたんですよ。野球をしていないのに言われるのも違うかなと思って」。高卒で入団して野球一本で生きてきた。「(鈴木と同学年であることを)プラスに捉えて、いいように使えばよかったんですけど」。真面目な性格が、かえって自分を追い詰めた。
それでも、徐々に自らを奮い立たせた。苦しかったプロ野球生活も、時間が経てばいい思い出として受け止めることができた。今年2月には社会人野球「エーアールライノス」の監督に就任。指導者の道を歩み始めた。
「やっぱりプロ野球は素晴らしいところですし、アマチュア野球を初めて経験してこんなに違うものかというのも実感しましたし。プロを育てたいですね。2〜3年前は別に何も思わなかったですけど、自分は打者だったので、今はいいバッターを育てたい気持ちがあります」
選手として最後のユニホームを着用したこの日、4年前のトライアウトで対戦した古川侑利さん(現ソフトバンク1軍アナリスト)と再戦。当時は二飛に抑え込まれたが、二塁打を放ちリベンジを果たした。「当時はクビになった人しかわからない殺伐とした雰囲気がありましたけど、今日は楽しくできましたね。こんな機会をもらえるのは本当に幸せですよ」。最後のユニホームを終え、鈴木と比較され続けたプロ人生に終止符を打った。もう燻っている昔の姿はない。指導者として新たな道を歩み始める。
(川村虎大 / Kodai Kawamura)