2人のドラ1を“破壊”、噂だけで浴び続けた批判 元阪神右腕が明かした現在「理解者が増えた」

元阪神・中込伸氏【写真:山口真司】
元阪神・中込伸氏【写真:山口真司】

元阪神・中込氏が日本で始めた新たな挑戦

 1988年阪神ドラフト1位右腕の中込伸氏は2011年12月に西宮市甲子園七番町に「炭火焼肉 伸」をオープンした。台湾プロ野球で八百長事件に巻き込まれて、日本に帰国したのが、その年の2月。周囲の見方がいろいろあった中、一生懸命に働き続け14年が経過。少年時代も、高校時代も、阪神時代も、台湾時代も波瀾万丈な野球人生を送ってきたが「僕のことを理解してくれる人が増えてきた」と感謝の思いを口にした。

 中込氏は2010年2月に台湾検察当局から詐欺罪で起訴され、その年の12月には懲役1年8か月、執行猶予4年の有罪判決を受けた。2007年末に台湾プロ野球・兄弟エレファンツの投手コーチに就任し、2009年後期には監督に昇格して、チームを優勝に導いたが、そのオフ、台湾球界に大規模な八百長問題が発覚。選手との仲介を務めた人物と親しい関係にあったことから、中込氏も関与を疑われたのが、その始まりだった。

 当初は潔白を主張して闘うつもりだったが、裁判は長期化が見込まれ、このままでは帰国できないし、仕事もできない。日本に残した家族の生活のことを考えて方向転換。日本に早く帰れる方法を最優先し、弁護士と相談したうえで「(罪を)認めれば執行猶予がついて日本に帰れるということだったので『じゃあ認めます』となった」と明かす。実際、2011年2月に帰国した際には八百長への関与を完全否定。その背景も報道陣に説明した。

「その時に野球自体を諦めました。だって、そんな僕が野球の仕事をしたら、そこに迷惑がかかるでしょ」と語る。「でも仕事はしなければいけない。嫁さんは『まずゆっくり休んだら』って言ってくれたけど、とりあえず何でもいいから働こうと思った。何だってやるという気持ちでした」。夜中に運送業の仕事に取り組むなど、必死になって働く日々が続いた。そして、偶然にも巡り合ったのが現在の焼き肉店だった。

「(元阪神投手の)高村(洋介)さんがオーナーの店だったんですが『ここをやってみないか』と言われたんです」。そこから話はトントン拍子で進んでいったそうで、オーナーを引き継ぎ、店舗を改装して「炭火焼肉 伸」を開業することになった。「料理の経験は全然なかったので、最初はスライサーで自分の手を切っていました。どうしても手際が悪いし、大変でしたけど、高村さんのお客さんがついていたので何とかって感じでした」。

 阪神時代には不慮の事故ながら、中谷仁捕手(1997年ドラフト1位、現・智弁和歌山監督)に携帯電話を投げ左目の視力を低下させる怪我を負わせて申し訳ない気持ちでいっぱいになった。甲府工の後輩右腕の山村宏樹投手(1994年ドラフト1位、現・山梨ファイアーウインズGM)に関しては、首を踏んで、自律神経失調症を発症させたという事実無根の噂が広がった。さらに台湾での八百長問題と、マイナスイメージばかりがつきまとった。そんな中、中込氏はとにかく馬車馬のように働いた。

明かした家族への思い「僕がいて良かったと思ってもらえるように」

「僕が(過去のことを)どう話しても、みんながみんな、ああそうだったのか、とはならないでしょ。嘘つけ! とかいう人もいるでしょ。もちろん、自分がやってしまったことは逃れられないし、忘れることはできない。それで僕がいろいろ言われるのはいい。でも、家族は関係ないんでね。僕はそれまで好き勝手に野球をやらせてもらった。嫁さんにも苦労をかけましたから……。その分も一生懸命働かないといけないと思っています」

 店は甲子園球場に近く、古巣・阪神にはやはり縁深いようだが「僕は(子どもの頃から)巨人ファンですからね。今はジャイアンツの方が心配です。阪神ファンではないですよ。阪神にはいただけです」と笑う。「でも、阪神の結果が商売に直結しますからね。阪神に飯を食わせてもらって、ありがたいことです。まぁ阪神と巨人が1位と2位を争うのが一番の理想ですね」。

 オープンして14年。店には阪神時代の先輩や後輩も含め、多くの野球関係者が顔を出してくれるという。「僕のことをわかって来てくれるお客さんがほとんど。店で僕としゃべってみて“こいつはそういうあれじゃないな”ということを理解してくれる人が増えてきました」と感謝する。世間には事情を知らず、いまだに事実とは異なる脚色された悪役イメージだけで評する人もいるが「僕を信じてくれる人もいるわけですからね」と、それが大きな支えにもなっているようだ。

 ヤンチャな少年時代、定時制からスタートした高校時代、阪神には球団職員の立場でドラフト1位入団。プロ4年目の1992年には主力投手となりブレークした一方で、怪我にも苦しんだ。2001年に阪神を戦力外になって台湾に渡り、2005年に現役引退……。いいこともあったし、悪いこともあった。悔やんでも悔やみ切れないこともあったが「妻には僕と結婚してよかったと思ってもらいたいし、子どもたちにはお父さんの子どもでよかったと思ってもらいたい」と話す。

 今後の目標についても「家族の幸せ。家族のために頑張ること。今は子どもたちも店に出て手伝ってくれています。家族に僕がいてくれて良かったと思ってもらえるように、これからもやっていくだけですよ」と、明るい笑顔できっぱりと言い切った。野球とは敢えて一線を画し、マウンドを離れ、グラブを外し、ボールを投げることはなくなっても、中込氏は「炭火焼肉 伸」で躍動している。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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