「肩たたきをされたら仕方ない」よぎった引退… オリ平野佳寿、兼任コーチ就任までの葛藤

「球団から兼任でと言っていただけたことはすごくうれしかった」
オリックスの平野佳寿投手が、プロ21年目の来季、兼任コーチとして現役を続行する。選手としての力の衰えを感じつつ、同期入団の岸田護監督の力になりたいという強い思いを球団が最大限に汲み取る形で実現した新たな役割。決断までには様々な葛藤があった。
「この1年、1軍の戦力になれていないベテランが居続けるのはどうなのかなと、自分の中で思っていました。球団から“肩たたき”をされたら仕方がないと。その中で球団から兼任でと言っていただけたことはすごくうれしかった。兼任だからこそできることがあると思う。選手とコーチの架け橋になれればと、受けさせていただきました」。平野兼任コーチが、静かな口調で現役続行と引退の狭間で揺れた真情を明かした。
平野兼任コーチは鳥羽高(京都)、京産大から2005年ドラフト希望枠でオリックスに入団。2011年に最優秀中継ぎ、2014年には最多セーブのタイトルに輝いた。海外フリーエージェント権を取得後、MLBに挑戦。ダイヤモンドバックス、マリナーズを経て2021年に古巣に復帰した。史上初の日米通算200セーブ&200ホールド、史上4人目の日米通算250セーブ、今年4月3日にはNPB通算250セーブを達成した。
20年目の今季は、期するものがあった。「尊敬できるところばかりの方」と慕う同期入団で3歳上の岸田監督が就任。ともに先発からクローザー、セットアッパーを務め、オリックスのブルペンを支えてきた盟友で「一緒に現役も頑張ってきました。岸田さんを胴上げできるように頑張りたい」と意気込んで臨んだ。春季キャンプでは、これまで投げてこなかったツーシームに挑戦し、投球の幅を広げた。
しかし、長年、第一線で投げ続けた“勤続疲労”で肘や腰が悲鳴を上げ、1軍で3試合登板(0勝1敗、1セーブ、防御率15.43)にとどまった。戦力になれない歯がゆさと、ベテランへ気遣いにさいなまれた1年だった。「連投はできるのですが、その後(の調整)が難しくなってしまうので、1軍、2軍のコーチのみなさんがものすごく気を遣ってくださいました。選手として『行ってくれるか』と言われたら、いつでも行くというスタイルでやってきましたから、それができなくなったことと配慮に、そうしてもらっていることが選手としてどうなのかなという思いがありました」。
盟友・岸田監督の力に「優勝に向けて頑張りたい」
シーズン終盤を迎え、球団の福良淳一ゼネラルマネジャー(GM)と話す機会を設けられた際に思いを伝えた。「今の状況なら選手としてはチームのためになりません」。新しいボールを覚え充実感もあった。まだ力になりたい、力になれるという思いもあったが、これ以上、チームに居続けるわけにはいかなかった。福良GMからは、兼任コーチを提案された。「僕のそういう葛藤に、球団が折り合いをつけてくれたと思います」。盟友・岸田監督の力になりたいという思いを違う形で実現させてくれたことに、平野兼任コーチは感謝する。
10月の秋季練習、高知市での秋季キャンプからコーチとしての仕事が始まった。「選手もしっかりとやって、下の子たちがウロウロしていたら取って代わるぞというくらいの気持ちでやりたい」と言いながらも、選手として動くのは準備運動まで。ノックバットを持って守備を指導し、ブルペンではフォームやボールの軌道をチェックするコーチ業に徹した。
コーチの立場になって気付いたことが2つある。「選手はわがままなところがあり、それでいいと思うのですが、コーチは本当に選手のことを考えていてくれるなということがよくわかりました。そして、選手のことをよく見ていることにも驚きました」と平野兼任コーチ。
コーチになると、選手を見る視点も角度も変わる。「いろいろ考えることもありますし、面白い発見もあります。こういう投げ方をしていたんだな、こいうボールを投げていたんだなというのは、(選手として)横で投げていたらわからない。後ろから見て初めてわかるものなんです」。1年目の寺西成騎投手には、フォークの落ちる軌道を変えてみればとアドバイスを送った。
オフは、選手としてのトレーニングに充て、来年2月からは兼任コーチとして指導にもあたる。「若い子もどんどん出てきますし、怪我人も復帰すれば十分いい戦力になると思います。岸田監督もそうですし、比嘉さん(幹貴投手コーチ)や安達さん(了一内野守備走塁コーチ)ら一緒にやっていた人が多くいるんで、また一緒に優勝に向けて頑張りたい」。盟友・岸田監督のためにも、選手兼コーチとして新境地をひらく。
○北野正樹(きたの・まさき)大阪府生まれ。読売新聞大阪本社を経て、2020年12月からフリーランス。プロ野球・南海、阪急、巨人、阪神のほか、アマチュア野球やバレーボールなどを担当。1989年シーズンから発足したオリックスの担当記者1期生。関西運動記者クラブ会友。2023年12月からFull-Count編集部の「オリックス取材班」へ。
(北野正樹 / Masaki Kitano)