絶好調が一転、突然腫れた肘 急落した野球人生→戦力外通告…それでも「最高だった」ワケ

ソフトバンク時代の森唯斗【写真:荒川祐史】
ソフトバンク時代の森唯斗【写真:荒川祐史】

森唯斗は2013年ドラフト2位でソフトバンク入り→7年連続50試合以上登板

 ソフトバンク、DeNAでプレーした森唯斗投手は、今季限りで12年間の現役生活に終止符を打った。ルーキーイヤーから7年連続50試合以上登板を果たし、常勝軍団の守護神として君臨。しかしそのプロ野球人生は「地元に帰って漁師をしようかな」と諦めかけていたところからのスタートだった。Full-Countのインタビューでは、ソフトバンクで過ごした10年間を振り返った。

「日本一、リーグ優勝、胴上げ投手もできましたし、1年目から投げさせていただいたので感謝しかないです。いい10年間だったなと思いますけど、最後の2、3年は何もできなかったので、そこは悔しい気持ちがありました」

 海部高から三菱自動車倉敷オーシャンズに進み、2013年ドラフト2位でソフトバンク入りした。解禁イヤーだった社会人3年目は指名漏れも、「正直この年は行けるとは思っていなかった」と気持ちを切り替えた。4年目に伯和ビクトリーズの補強選手として都市対抗野球に出場して東京ドームで登板したことから、一気に注目度が上がった。

「でも、この年(プロに)入れなかったら地元に帰って、父が漁師ですし、自分も漁師をしようかなというのはあったんですよ。正直速い球を投げる投手でもなかったし……社会人で辞めようと思っていたときにプロにかかった。だから怖いものは何もなかったんです。失うものはない精神でやっていました」。“ラストチャンス”で掴んだプロだったからこそ、ルーキーイヤーから突っ走ることができた。

Full-Countのインタビューに応えた森唯斗【写真:町田利衣】
Full-Countのインタビューに応えた森唯斗【写真:町田利衣】

12年間の現役生活に別れ「自分の野球人生、最高だったんじゃないですか」

 プロ1年目はオープン戦から1軍に同行して結果を残していたが、開幕前に左膝を故障。それでも故障が癒えた5月にすぐに1軍に上がり、そこから58試合に登板した。「何の実績もないのに、治ってすぐ使っていただいた秋山(幸二)監督には感謝です。あのとき使ってもらっていなかったらどうなっていたんだろうって。自分の転機です」。そこから7年連続50試合以上登板という“鉄腕の道”が始まった。

 デニス・サファテの故障離脱を機に守護神に転向した2018年は、37セーブでタイトルを獲得。日本シリーズで胴上げ投手となり、優秀選手賞に輝いた。数々の修羅場をくぐり抜けた男でも「この日はめちゃくちゃふわふわしていたんです。投げる前から自分でも力の入り方が全然違うなって。マウンドに行っても足が震えていました」と明かす。凄まじいほどの重圧を跳ねのけて手にした栄光だった。

 開幕から絶好調で「エグい成績が出るぞ」を感じていた2021年の春先、朝起床すると突然左肘が腫れていた。感染症だった。入院して手術を行ったが、復帰後もフォームのバランスは崩れた。「悪循環に陥ってずっと戻らなくて、どうしたらいいか自分でもずっと葛藤していました」。この年、プロ入り後初めて50試合に到達できず(30登板)、2022年は29試合、2023年は6試合に終わって戦力外通告を受けた。

 通算127セーブ。チームを勝利に導く最終回のマウンドは特別だった。「めちゃくちゃ気持ちいいです。やっぱり違うんですよ。それがあるからずっとやれたのかなと思います」とクローザーとしての矜持を語る。そして誇らしげに微笑んだ。「数少ない胴上げ投手もそうですし、ホークスで4回も優勝して、日本一にもなることができた。そういう人って、あまりいないのかなと思います。自分の野球人生、最高だったんじゃないですか」。森唯斗らしく突っ走ったプロ野球人生だった。

(町田利衣 / Rie Machida)

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