ドラ1指名拒否で聞こえた根拠なき雑音 「もうやけくそ」母の悲鳴で追い込まれた決断

社会人に“2年ルール”適用…1年なら「河合楽器に行っていた」
伝説の強打者・栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)は1973年ドラフト1位で駒沢大から近鉄に入団した。意中の球団ではなかったことから、当初は入団拒否の構えを見せていたが、周囲の声など思わぬ事態も重なって、年を越してから「もうやけくそみたいな感じ」でバファローズ入りを決断したという。背番号は2。「本当は8番が欲しかったんだよ。契約の時に言えばよかったなぁ」とも話した。
駒大で1年から4番を務めた大学球界屈指のスラッガーとして栗橋氏はプロから注目を集めて、1973年ドラフト会議では近鉄にドラフト1位指名された。当時の1位は予備抽選で決まった順番に指名する方式で、近鉄は3番クジを引いていた。全体3番目という高い評価でプロの道が開かれたわけだが、その知らせを受けた時にはかなり落ち込んだという。駒大・太田誠監督の出身地、静岡・浜松市の社会人野球・河合楽器から内定も得ており、拒否が基本線だったそうだ。
「太田さんにも『河合楽器に行きます』と言っていた。そういうふうに決めていたからね」。近鉄にも早々に断りを入れたそうだ。だが、近鉄側も重要な1位指名選手だけに簡単には引き下がらなかった。「実家の方にはしょっちゅう、スカウトの人が来ていたみたいです。俺は太田さんに『(スカウトには)会うな』と言われていたので、会っていなかったけどね」。しかし、拒否の構えを見せながら、その進路について悩んでもいたという。
「この俺の年から、社会人(野球)に入ったら、2年間、プロに行けないというルールができたわけ。最初、俺はそれを知らなかった。拒否したら次の年は指名されないってことをね。そうなると、22(歳)で卒業して(プロで)プレーするのは25の年になる。25っていったら、年だなって感じだったんでね、あの時代は。ちょっと遅いんじゃないのって。それで悩んだんだよねぇ。あのルールがなければすんなり1年間、河合楽器に行っていたよ」
とはいえ、東京・板橋区出身の栗橋氏にとって、なじみの薄い関西地区の球団・近鉄に行きたいかと言われれば、また?マークがついてくる。近鉄サイドの粘り腰に、そんな状況も重なって交渉は長引いた。年を越した。そして決断したのが大逆転での近鉄入りだった。これには周囲の声も大きく関係したという。「最初は“ウワー、ドラフト1位、すごいね”って言われていたんだけど、今度はなかなか(プロに)入らないってことで、いろいろとね……」。
現在のようなSNSがない時代でも、想像だけで判断する身勝手な“雑音”ばかりが激しくなったという。「取材とか、世間からもね、『お金をつり上げるために(入団交渉を)粘っているんじゃないのか』とか、そういうことを言ってくるわけですよ。ウチの親はもうそんなのが嫌になっちゃった。参っちゃったんだよね。全く知らない世界だしね。あの時、お袋は俺に言ったもんね。『早く、はっきり決めて!』って」。
愛着ある背番号8を希望も…梨田昌崇氏が着用
母のその言葉に栗橋氏は「『じゃあ、(近鉄に)行くわ!』って言った」という。「もうやけくそみたいな感じだったね。それで(プロ入りを)決めたというか、なんかそこから、そういう形になってしまったよね。スカウトにどう伝わったのか、どういう感じで持っていったのかはわからないけど、太田さんは俺に怒っていたからね。『お前! そんなこと、言ったのか!』ってね」。だが、もう後戻りはできない。近鉄入団の運びとなった。
背番号は球団提示の「2」に決まった。「俺は大学の時と同じ8番が欲しかったんだけど、梨田(昌崇捕手)が重い番号(52番)からその年に8番になったばかりだった。よっぽど契約の時に言おうかと思ったよ。“8じゃないと(近鉄に)行かない”ってね。でも、そしたら入ってからいじめられるんじゃないかと思ったからね。梨田も知っていたけどね。『クリチャン、本当は8番が欲しかったんだよね』って。なら貸せ、って話だよね」。
栗橋氏は大笑いしながら、そう話したが、8番への思いは真剣だったようだ。「2番は好きな番号じゃないよ。どっちかと言えば嫌。だから銭湯とかの下駄箱でも2番には絶対入れなかったもんね。俺ね、番号のせいにするんじゃないけど、8番だったら、もっと打ったんじゃないかなと思うんだよ」。入団以来、ずっと2番で代名詞みたいになったのも事実だが、それでも2番に関しては「うーん、まぁ好きとはいえないな、やっぱり8がねぇ」と繰り返した。
こうして栗橋氏の近鉄一筋のプロ野球人生はスタートしたが、もしも、ドラフトの時、当初の予定通り、近鉄を拒否して河合楽器に進んでいたら、どうなっていただろうか。「それはもう、えらい違いだったでしょうね」と言いながら「でも(2年後のドラフト指名が)また近鉄だったりしてね」。元猛牛戦士はそう言って微笑んだ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)