帰京→到着ロビーで“呼び出し”「悪いことしたっけ」 1軍同行も突然の移籍…表れた動揺

国吉佑樹は2021年途中にDeNAからロッテにトレードで移籍した
今季限りでロッテを戦力外となった国吉佑樹投手は、2021年途中にトレードでDeNAからロッテに移籍した。シーズン途中、羽田空港の到着ロビーで突然の“呼び出し”に大きな動揺が。しかしこの移籍が転機となり、すさまじい好成績を記録することになる。
2021年は6月10日の西武戦を終えて18試合で防御率5.16と苦しんでいた。しかもこの試合で脇腹の肉離れを発症。翌日から交流戦最終カードとなる日本ハム戦(札幌ドーム)が控えていたため病院に行く時間もなく、交流戦後のオフを使って検査をする方針で北海道遠征に同行した。当然投げることはできず、3連戦はベンチから外れ、練習中は外野をウオーキングしているだけだった。
そして同13日、チームとともに札幌から帰京。羽田空港の到着ロビーでマネジャーに肩をトントンと叩かれ「明日球団事務所に行ってくれ」とささやかれた。「最初は『なんか悪いことしたっけ』と思って聞いたら、『いや、そうじゃないんだけどとにかく行ってくれ。三原さん(当時の球団代表)から話があるから』と言われて。それで多分トレードだなと思い、行き先はどこだろうな、リリーフが足りていないチームはどこだろうなって……」。
いろいろな思いが頭を駆け巡る中、駐車場に止めてあった自らの車に乗り、家路を急いだ。羽田空港からの道中は慣れているのでいつもナビを入れることはない。しかし動揺が表れたのだろう。「横浜方面と千葉方面に分かれるところがあるんですけど、家は横浜方面なのに間違えて逆の千葉方面に行っちゃって。気持ちはやはり落ち着いていなかったんでしょうね」と明かした。
翌日、ロッテへのトレードが告げられた。「トレードってちょっとくすぶっている選手、今は出場機会がないけど他球団に行ったら使えるよねっていう選手のイメージだったので『こういうケースもあるんだ』と。11年いたDeNAに愛着もありましたし、まさか違うチームのユニホームを着て投げるなんて、想像もつかないから不安はありました。でもいい機会だし、いい経験になるかなと思いました」と率直な思いを打ち明ける。ロッテは最も想像していなかったチームだったというが「前日に道を間違えたの、行き先は間違いじゃなかったんだなって。勝手に千葉方面に向かっていたので」と笑った。
忘れないZOZOマリンでの初登板時の声援「すごく頼もしくて」
五輪による中断期間があったことから移籍してすぐにリハビリに時間を費やすことができた。8月14日に移籍後初登板を果たすと、ロッテではこの年25試合で防御率1.44、17ホールドと“覚醒”。「スタイルを変えたわけでもフォームを変えたわけでもない。何がよかったのか本当にわからないんです」と話すが、勝ちパターンとして固定されたことや、それによる自信も得て快進撃を続けた。
2022、23年は登板機会を減らした。特に2023年は「思うように投げられないモヤモヤと、2021年と同じようにできないもどかしさで自分に腹が立ったり。それでも怪我じゃないのでファームの試合には登板しないといけなくて、投げること自体がちょっと嫌になったり、だいぶしんどかったですね。抑えられるイメージがなかったんです」と葛藤した。トレーニング方法、投げ方を一から見直し、少しずつ改善されたことで2023年の夏場から徐々に感覚を取り戻した。そして2024年、球団新記録となる24試合連続無失点を達成するなど41試合で防御率1.51と見事に“復活”を遂げた。
今季は1軍登板なく戦力外となったが、ロッテで過ごした4年半は新鮮だった。指名打者制のあるパ・リーグは、投手の準備もDeNA時代とは全く異なる。救援陣の肩のつくり方もDeNA時代とは違い「野球のスタイルが全然違いました」と驚きがあった。何より印象深いのが、ZOZOマリンスタジアムで受けた歓声だ。「初登板のときリリーフカーで出て行ったときにすごく頼もしくて、それがめちゃくちゃ印象に残っています」と微笑んだ。
今後は国内外を問わず移籍先を探していく。「体が動く限りは老いに抗って、少しでも長く野球をやりたいなっていうのはあります。これからの野球人生、プレーヤーである限りはいろいろなところで学んで、経験というものを積み上げていきたいです」。DeNA、ロッテでの貴重な16年間とはまた違った財産を得るために、国吉の野球人生は続いていく。
(町田利衣 / Rie Machida)