小6の松井裕樹から掛けられた「スポーツやってないの?」 楠本泰史を変えた“運命の一言”

楠本は小6で横浜市に引っ越し、松井と同じ小学校に通うことに
「あの時の一言がなかったら、プロ野球選手になっていなかったかもしれないですよね」。今季限りで阪神を戦力外となり現役を引退した楠本泰史氏が、そう言って笑う。2017年ドラフト8位でDeNAに入団してから8年。プロ野球生活に区切りをつけた今、小学生時代に松井裕樹投手(現パドレス)を交わした会話を懐かしむ。
大阪府出身の楠本は、親の仕事の都合で小学6年生のときに神奈川県横浜市にやってきた。新しい小学校で「何かスポーツやってないの?」と声を掛けてくれたのが松井だった。野球をやっていたと答えると、「じゃあ一緒にやろうよ」と誘われ、同じチームに入った。ともにベイスターズJr.に選ばれ、NPBジュニアトーナメントにも出場した。
「短い一言なんですけど、あそこで声を掛けてくれなかったら一緒に野球をやっていなかったかもしれないし、大袈裟かもしれないですけど、裕樹の背中を追ってやってきて、野球が嫌いになりそうな時期も踏みとどまれた理由は裕樹が第一線でずっとやってくれていたから。話しかけてくれて仲良くなるキッカケがなかったら、ここまでの野球人生になっていなかったなと思います。すごい縁がある人ですね」
中学時代も同じシニアチームでプレーしたが、高校から別々の道を進む。楠本は花咲徳栄高から東北福祉大に進学。桐光学園高で世代No.1左腕に成長を遂げた松井は、5球団競合の末に楽天が指名権を獲得した。仙台の地で、再び2人は引き寄せられた。
オリックス若月は高校の同級生「絶対に負けたくない人」
楠本は大学3年春に怪我をして、「今まで楽しく投げていたボールがうまく投げられなくなって、野球をやりたくないと思いました。でもグラウンドに出ないといけない」というどん底を味わった。救いになったのが、プロ2年目で63試合に登板するなど、チームの主力となっていた松井だった。スカウトを通じて状態を聞くなど気にかけてくれ、本拠地の試合に招待してくれた。自分の名前を出してくれている記事を読んだこともある。「やっぱりプロ野球選手になりたい、同じところで勝負したいという思いにさせてくれて、踏みとどまれた理由です」と感謝した。
松井は2024年から海を渡り、メジャーの舞台で2年連続60試合以上に登板している。「すごいの一言です。心の底から応援しています。裕樹は……友達ですね。選手としてすごいのはわかっているけど、小さい頃に楽しんだ思い出がずっとあるので。野球がすごく上手な友人。一生の仲じゃないかな」と誇らしげだ。引退に際しても「本当に辞めるの?」「この先どうするの?」など頻繁に連絡をくれたそうで、「一番気にかけてくれたと思います」と笑った。
楠本がもうひとり感謝するのが、オリックスの若月健矢捕手だ。高校の同級生とあって「絶対に負けたくない人」と言い切る。若月は高卒でドラフト3位でオリックスから指名を受けた。楠本はプロ志望届を出していなかったため指名される可能性はなかったが、「嫌でも意識していたので、すごいなというのと同時にめちゃくちゃ悔しくて」。若月を囲んで部員たちで撮った集合写真は、悔しい顔が写らないように最後列で隠れていた。そのとき「絶対に4年後、プロに行く」と決意した。
「この2人がいなかったら、とっくに野球を辞めていたと思います」と楠本。駆け抜けた8年間のプロ野球人生の礎には、漫画でも描けないようなストーリーがあった。
○著者プロフィール
町田利衣(まちだ・りえ)
東京都生まれ。慶大を卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。北海道総局で日本ハム、東京本社スポーツ部でヤクルト、ロッテ、DeNAなどを担当。退社後、Full-Count編集部に所属。
(町田利衣 / Rie Machida)