ドラ1入団も2年で「もう無理」 絶望したプロの壁、よぎる引退…“代役”が変えた人生

元近鉄・栗橋茂氏【写真:山口真司】 
元近鉄・栗橋茂氏【写真:山口真司】 

「あれがなかったら、俺、辞めていた」…島本講平氏に起きた“不運”

 追い込まれていた。元近鉄外野手で伝説の強打者・栗橋茂氏(藤井寺市・スナック「しゃむすん」経営)は駒沢大からドラフト1位でバファローズの一員になったが、プロ入り後、順調に主力選手への階段を上っていったわけではない。プロ2年目(1975年)は42試合、打率164、1本塁打、1打点と伸び悩んだ。3年目(1976年)に入る時には「俺は、もうプロでは駄目だ」と辞めることまで考えていたという。

 大卒の即戦力ドラフト1位外野手として近鉄期待の星でもあった栗橋氏だが、当初はなかなか思うような結果を残せなかった。1年目(1974年)はジュニアオールスターでMVPに輝いたり、阪急エース・山田久志投手からプロ1号の逆転サヨナラ2ランを放つなど、勝負強さを見せたが、2年目はさらなる飛躍どころか、逆に伸び悩んだ。開幕1軍こそ果たしたが、代打がメインで4月、5月はいずれも3打数無安打。6月は1軍出場なしだった。

 シーズン初安打は7月10日の南海戦(日生)までずれ込み、7月12日の阪急戦(西宮)で、0-5の9回に阪急・足立光宏投手の完封を阻止する1号ソロを放ったものの、それ以降も目立った活躍はできずじまい。近鉄は後期優勝を成し遂げたが、蚊帳の外。1勝3敗で阪急に敗れたプレーオフの出場もなかった。「もう悔しさもなかった。怪我したわけでもないし、もう駄目だなと……。壁っていうか、もう打てないな、プロの球はって思っていた」。

 そんな精神状態のまま、プロ3年目に突入した。この年から始まった高知・宿毛キャンプでも自信を取り戻せなかった。シーズンに入っても代打が中心で4月は7打数無安打だった。「追い込まれていたよ。俺はもう無理だなってね」。1歳年下で同じ左打者の島本講平外野手が前年(1975年)シーズン途中に南海からトレード移籍。「(近鉄監督の)西本(幸雄)さんは、あいつを結構使った。講平もよく打ったしね」。

 栗橋氏にとっては、すべてが悪い流れのようにも感じたことだろうが、それで終わらなかった。ここから這い上がった。3年目は101試合に出場し、267打数67安打の打率.251、6本塁打、24打点。途中からは外野のレギュラーポジションもつかんだ。5月12日の太平洋戦(北九州)に「9番・左翼」で起用されて、3打数1安打。シーズン初安打をマークして変わった。5月15日の日本ハム戦(藤井寺)では1号本塁打を含む3安打2打点、翌16日も3安打と勢いづいた。

 この巻き返し劇について栗橋氏はこう話す。「(島本)講平がね、小倉で風疹にかかったんだよ。で、(5月12日の試合に)俺が講平の代わりに出たんだよね。そしたら1本ヒットを打った。1本打ったら、西本さんはまた使ってくれるからね。それがきっかけだよね。講平の風疹が……。あれがなかったら、俺、辞めていたからね」。ライバルの体調不良でチャンスをつかみ、それまで打撃に悩んでいたのが嘘のように打ち始めたわけだ。

5試合連続で2安打2打点と好調→「5番・右翼」が定位置に

 7月4日の日本ハム戦(後楽園)からは5試合連続で2安打2打点と絶好調。「2、2、2、2、2の10打点だよね。あの時は“ウワっ、今日も2打点か、どこまで続くのかな”って思ったよ。やっぱりヒットより打点。打点の方が面白いよね」。7月31日と8月1日のダブルヘッダー第1試合の阪急戦(新潟)では2試合連続アーチ。山口高志投手と足立投手から放った。

「山口さんのは、振り遅れでレフト(笑)。足立さんのはアウトコースに来たヤツをガバッときれいにあれもレフトだったね」。打順も5・12以降、3試合は9番だったが、その後は8番、5番、7番、3番、1番……。最終的には「5番・右翼」がほぼ指定席となった。「9番はあまり記憶がなかったけど、西本さんはその方が緊張しないだろうって考えたのかもしれないね」と、すべて、いい流れに転換していったようだ。

「3年目といえば、サードランナーが伊勢(孝夫)さんで、バッターの俺がスクイズのサインを見逃してしまった。振り遅れてファウルが三塁の方に飛んでいき、伊勢さんに当たりそうになって『危ないよ、お前』って言われたのを覚えている。ランナーは突っ込んでくるから、確かにあれは危なかったね。あの時(打順)が9番とか8番だったのかな。俺にスクイズのサインが出たのはあの時だけ。それも(見逃して)打ってしまったから(スクイズをしたのは)1回もなしで終わっていると思うよ」

 シーズン初めは、辞めることまで考える悲壮な状態だったのが、一気に変わったプロ3年目。「今思えば、あの年って結構いろんなことがあったんだなぁ。やはり、ひとつのきっかけだね」と栗橋氏はしみじみと話した。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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