キャンプで12失点の大炎上、中日新人が直面した危機 「あいつは使える」目にした闘将の一言

紅白戦で「14被安打12失点」…マウンドで受けた異例の対応
インタビュー中、終始穏やかな笑顔を絶やさない。中日、ロッテ、横浜(現DeNA)で活躍した左腕・山北茂利氏。その優しい語り口からは、かつてマウンドで見せた鋭い眼光や、入団直後に直面した“修羅場”は想像しがたい。だが、時計の針を2000年に戻すと、そこには「地獄」を見た1人の若者がいた。
1999年ドラフト3位で社会人の名門トヨタ自動車から中日に入団。「即戦力として自信満々だった」という21歳を待っていたのは、プロの高いレベルと、闘将・星野仙一監督が率いる“常勝軍団”ならではの厳しさだった。「自信はすぐに砕け散りました。自主トレで先輩方の球を見たときに『もしかしたら自分はヘボいかもしれない』って」。その不安は的中した。初実戦となった紅白戦は、忘れることができないほどの炎上となった。
山北氏が浴びたのは歓声ではなく、容赦ないプロの洗礼。「紅白戦でいきなり8連打を食らって、14安打12失点。紅白戦なのにコーチがマウンドに来ましたからね。先輩にも『初めて見た』と言われました」。ベンチに帰っても誰も声をかけてくれない。終わった、と思った翌日、新聞には星野監督のコメントが載っていた。「あいつは使える。直せばだけどな」。首の皮一枚つながった瞬間だった。
心にもう一度火をつけて、リベンジに挑んだ。3日後に再び紅白戦に登板すると、2回を投げて5奪三振の完璧な投球。思わず拳を強く握った。「紅白戦でガッツポーズするやつ初めて見たぞって周りの人に言われましたね。立浪(和義)さんは『気合い入っとるやん』って声をかけてくださって……」と笑うが、必死だった。そんな死に物狂いの姿勢が開幕1軍につながった。

「契約金返せ」と新聞で一喝 生き残りをかけたサイドスロー転向
ただ開幕1軍入りするも、プロ1年目は制球難に苦しみ、1軍では5試合のみの登板で防御率は24.30で幕を閉じた。しかし、試練はこれで終わらなかった。2年目の春、自主トレで肩を痛め、キャンプに出遅れた。すると新聞に厳しい言葉が躍った。「契約金返せ」。山北氏を含む同期のドラフト1位から3位の選手たち全員が怪我で出遅れ、指揮官の怒りは頂点に達していた。「これはまずいと思いました」。
怪我と不振で2年目を1軍登板なしで終えることになるが、山北氏にとってターニングポイントとなる出来事が起きる。2年目のシーズン中、山北氏には2軍にいながら1軍の打撃投手を務める異例の措置が設けられていた。そんなある日、当時1軍投手コーチだった山田久志氏から「腕、下げてみたらどうだ」と助言をもらった。それまでは191センチの身長を生かして、上から投げるべきという固定観念に縛られていたが、藁にもすがる思いで腕を下げた。
「指先の感覚が良かったんです。それまでストライクが入らないのがコンプレックスだったのですが、嘘のように解消されたんです」。
そこから“和製ランディ・ジョンソン”としての快進撃が始まる。2002年のプロ3年目には57試合に登板。さらに後半は巨人・松井秀喜氏の3冠王阻止の切り札として、ワンポイントで重用されるまでに成長した。「手札がもうなかった」という絶望から掴んだフォーム。山北氏は「当時の自分は本当に幼かった」と苦笑するが、崖っぷちで得た経験こそが、長くプロの世界で生き抜く礎となった。
(木村竜也 / Tatsuya Kimura)