阪神で大活躍した台湾人、過ごした辛い“空白の1年” 絶たれた甲子園への道「突然目標が…」

富邦ガーディアンズで副GMを務める林威助氏【写真:篠崎有理枝】
富邦ガーディアンズで副GMを務める林威助氏【写真:篠崎有理枝】

林威助氏が振り返る日本への野球留学、憧れていた甲子園

 台湾プロ野球(CPBL)の富邦ガーディアンズで球団副領隊(副GM)を務める林威助氏は、流暢な日本語を関西弁交じりで話す。高校時代に日本へ野球留学し、その後は阪神でプレー。約20年間、日本で過ごした経験を台湾球界の発展に生かしている。

 小さい頃から衛星放送で、甲子園で行われる試合の中継を見ていた。たくさんのファンで埋まるスタンドを見て「いつか自分もプレーしたい」と思うようになったという。中学卒業後、日本の高校から誘いがあったが、父親の体調が悪く断念。台湾の高校に入学したが、翌年に再び声がかかり、福岡の柳川高へ留学した。

「このチャンスを逃したくないと思い、家族と相談して決めました。日本語は話せなかったので、日本に行ってから勉強しました。平日は授業が終わってから練習。土日も練習。台湾の同級生は土曜日の練習が終わったら1日半ぐらい休みです。休みがないことが一番大変でした。言葉も分からないところで毎日練習して、勉強して。最初はしんどかったですし、ホームシックにもなりました」

 慣れない土地で、憧れの甲子園を目指して汗を流した。しかし3年になったとき、高校野球連盟で定められている年齢制限を超えるため、出場できないことを知らされた。

「監督に呼ばれて、次の大会は出られないと言われました。突然目標がなくなってしまいました。プロから話はありましたが、入団できても当時は外国人扱いになる。監督にも大学進学を進められて『頑張るしかない。だめだったら台湾に帰るしかない』と気持ちを切り替えました」

近大に進学し、2002年にドラフト7位で阪神入団

 新たな目標を日本でのプロ入りに定めて、近大に進学。この頃には、日本の生活にも慣れており「台湾には帰りたくないほどでした」と笑顔で当時を振り返る。

「人は優しいし、食べ物もおいしい。高校は学食でしたが、大学では、牛丼とかお好み焼きとか、高いものじゃないですけど、いろんなものを食べることができました。友達もできて楽しかったです」

 地道な努力が報われ、2002年のドラフトで阪神から7位指名された。目標にしていたプロ野球選手となり、2013年まで10年以上にわたり日本球界でプレーした。

 そして今、林氏は新たな立場で野球界に関わっている。今季から富邦ガーディアンズの副領隊に就任。日本人コーチを多数招聘し、自身が学んできた日本野球を台湾球界に還元している。

「NPBに入団する選手も増えてきましたし、国際試合でもある程度、結果も出している。日本も成長していますが、台湾も負けないように頑張っています。台湾の選手は体形も日本の選手に負けていないし、パワーもあります。作戦的なことをしっかりやっていけば、さらに強くなると思っています。日本人コーチも増えたので、注目してもらいたいです」

日本で得た経験を武器に、台湾野球の未来をつくる。林氏の新たな挑戦は、まだ始まったばかりだ。

(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

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