宴会続きで体重激増→運転中に事故 プロ入り前に波乱…“負の連鎖”を断ち切った出会い

西武など3球団で活躍した杉本正氏【写真:山口真司】
西武など3球団で活躍した杉本正氏【写真:山口真司】

元西武の杉本氏が振り返る入団前のアクシデント

 1980年ドラフト3位で社会人野球・大昭和製紙から西武に入団した左腕・杉本正氏(野球評論家)のプロ生活は、波乱の幕開けとなった。11月に都市対抗優勝とドラフト指名が重なり、連日の“祝宴”で体重は10キロ以上増えた上に、翌1981年1月の自主トレ開始3日前には、車の運転中にまさかの交通事故に……。それでも2月のキャンプを乗り切った。大きかったのは西武のエース・東尾修投手との“出会い”だったという。

 プロの世界に進んだ杉本氏だが「正直言って、指名を聞いた時は西武ってどこって思いました」と苦笑した。「セ・リーグの球団は大体知っていましたけど、パ・リーグは南海、近鉄、阪急は球団すら知らなかったです。選手なんてほとんど知らない。監督なんか分かるわけがない。(西武監督の)根本(陸夫)さんの存在も知らなかったし、(近鉄監督の)西本(幸雄)さんも(阪急監督の)上田(利治)さんとかも全く……」。

 ただ、西武には面識ある“同期”が多かった。ドラフト1位の石毛宏典内野手(プリンスホテル)、2位の岡村隆則外野手(河合楽器)、ドラフト外の駒崎幸一外野手(日本通運)や広橋公寿内野手(東芝)らは「社会人で一緒にやっていたんでね」。さらに先輩には、杉本氏が大昭和製紙2年目(1979年)の都市対抗でバッテリーを組んだ大石友好捕手(当時は河合楽器からの補強選手)もいた。

「大石さんが先に(1979年ドラフト3位で西武に)入っていた。大石さん以外に、西武の選手で知っていたのは(漫画の)『がんばれ!! タブチくん!!』のイメージで田淵(幸一)さんだけだったし、選手の名前は全然わからなかったけど、大石さんや、知り合いの同期がいたから(チームへの)抵抗感はなかったです」。ただ、プロ1年目の自主トレに向けて自身のコンディションは最悪だったという。

「11月の上旬に都市対抗で優勝して、月末にドラフトがあったじゃないですか。その11月の1か月間ってほぼほぼ毎日、僕はお酒を飲めないけど、優勝祝賀会とか、地元の人たちとか、いろんなところから誘われて食事に行っていた。その後、ドラフト指名されてプロに行くって方向性になったら、12月もまた毎日のように……。11月と12月の2か月で10キロ以上太ったんですよ」

 その状態で1月を迎えたが、さらなるアクシデントにも見舞われた。「確か、1月7日から自主トレが始まったんですけど、1月4日に高校(御殿場西)の同窓会に行ったんです。僕は酒を飲まないので友達の車を運転することになったんですけど、その時に正面衝突の事故を……。相手が飲酒運転だった。まぁ幸いにも大した怪我がなかったからよかったんですけどね」。

大きかったエース・東尾氏との出会い

 そんな“悪い流れ”を断ち切るべく、杉本氏は必死になって練習して、まず体重を落とした。「80キロを超えていたんですけど、(2月の高知・春野)キャンプに入るまでの1か月間で痩せました。70キロまで戻しましたから結構、ちゃんと練習したんでしょうね。1月半ばからピッチングもしていました。根本監督は(キャンプ初日の)2月1日に紅白戦をやったんですけど、それにも投げましたね」。

 そのキャンプで杉本氏が、いろんなアドバイスをもらったのがエースの東尾氏だ。「キャンプに行く前日に、大石さんが東尾さんとの食事に誘ってくれたんです。西武の選手はその日、都内に泊まって、次の日に羽田(空港)に集合して(高知キャンプに)行くってことでね」。その日の出来事がきっかけで、それ以来とてもかわいがってもらったという。

「食事をした後、東尾さんに六本木に連れて行ってもらったんです。で、『お前、歌を歌え』って言われてね。『歌は嫌いなんです』と言ったんですけど、それでも『歌え』ってことで歌ったら、音痴なので、東尾さんが大笑いするわけですよ。それで『お前、俺と同じ系統だから気に入った』って。東尾さんも歌が得意じゃなかったんで、僕が音痴で下手だったから仲間だ、ってことでね(笑)。キャンプに行ったら東尾さんの柔軟体操の相手役もやらせていただきました」

 船出は不安要素ばかり目立ったプロ生活が、キャンプに入って、日を追うごとに好転していったのは、何よりも東尾氏との“出会い”があったから。エースから多くを学んだ杉本氏は、背番号20の即戦力左腕としての存在感も示していった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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