中日移籍でまさか「やっていいんですか?」 徹底管理から激変…驚愕した“文化の違い”

杉本氏が振り返る中日移籍1年目、胸に秘めた田尾氏へのライバル心
1985年に西武から中日へ移籍した杉本正氏(野球評論家)は、交換トレード相手の田尾安志外野手に対して「負けられない思いが強かった」と語る。移籍1年目は23登板で5勝4敗、防御率4.29。6月下旬から4試合連続完投勝利をあげたが、7月の広島戦で左肘痛に見舞われて離脱。本来の力を発揮できなかった。
杉本氏はプロ5年目の春季キャンプ直前に、トレードで山内一弘監督が率いる中日へ移籍した。「(宮崎)串間キャンプで(チーム関係者から)『今度の休みに(ゴルフ)コンペがあるけど、出るか?』と言われて『何のコンペですか』と聞いたら『串間市の後援の人たちとのコンペ』と言われて……」。キャンプ中のゴルフは、広岡達朗監督による管理野球が徹底されていた西武では考えられないことだったので驚いたそうだ。
「『やっていいんですか?』と聞くと『いいよ、いいよ』と言われて、ゴルフをした覚えがあります」と話したが、中日に移籍した杉本氏が何よりも意識したのは、代わりに西武に移籍した田尾氏のことだった。「田尾さんはドラゴンズで人気選手でしたからね。その人とのトレードで来たんだから、それなりにやらないとヤバいよねって思っていました。とにかく田尾さんに負けたくないって気持ちが強かったと思います」。
山内監督も中山俊丈1軍投手コーチも「好きなようにやらせてくれた」という。先発左腕としての期待の大きさを感じながら、キャンプ、オープン戦を過ごし、初めてのセ・リーグ開幕を迎えた。移籍初登板は開幕4戦目の4月17日の大洋戦(横浜)。先発し2回に1点を先制されたが、味方打線が5回に2点を奪って逆転。しかし7回に追いつかれ、8回にまわってきた打席で代打を出されて退いた。試合はその後、両軍が1点ずつ加えて延長10回3-3の引き分けだった。
中日でのデビュー戦は7回6安打2失点とまずまずだったが、4月に勝ち星は挙げられなかった。待望の移籍初勝利は、杉本氏の26歳の誕生日でもあった5月3日の大洋戦(ナゴヤ球場)だ。金田進捕手とバッテリーを組み6回を投げて4失点。1点リードした場面での降板となったが、その後、中日打線が1点を追加。リリーフ陣も7回は平沼定晴投手、8回は鹿島忠投手、9回は抑えの牛島和彦投手が無失点に抑えた。「勝たせてもらったようなものでしたけどね」。
忘れられない“初白星”になったが、次の2勝目にも苦しんだ。また勝てない日々が続き、シーズン11登板目(6月5日のヤクルト戦、神宮)からはリリーフに回された。それでも黙々と投げ続けて、17登板目の6月29日の広島戦(広島)で再び先発機会を得た。そこで2失点完投勝利と結果を出した。

広島の山本浩二氏に許した通算500号本塁打「ショックもあった」
「投手は1つ勝つのが大変。勝ったら変わっていくことが多いけど(2勝目までに)1か月半ぐらいかかったんですねぇ」と杉本氏は苦笑したが、この2勝目から一気にギアが上がった。続く7月7日のヤクルト戦(神宮)は1失点完投で3勝目。13日の大洋戦(宮城)では3失点完投で4勝目、さらに前半最終戦の18日のヤクルト戦(ナゴヤ球場)でも1失点完投で5勝目と、怒濤の4試合連続完投勝利だ。
「(前半最後の)ヤクルト戦は2-1で勝って、この時は(西武から一緒に移籍した)大石(友好)さんが捕手だったんですけど、真っ直ぐを3球くらいしか投げていないんですよ。スライダーとカーブ。スライダーが多かったです」
新天地でのシーズン前半を杉本氏は5勝4敗、防御率4.20で終えたが、西武に移籍した田尾氏は主に3番で起用され、打率.279、9本塁打を残し、ファン投票でオールスターゲームにも選出された。「シーズンに入ったらそこまで意識はしていなかったけど、田尾さんの数字が気になってはいましたね」と杉本氏は言い、後半戦に向けてまた燃えるものがあったことだろう。しかし、この後にまさかの悪夢が待っていた。
後半戦開幕の7月26日の広島戦(ナゴヤ球場)に先発。1回裏に中日・宇野勝内野手が2ランを放ち、2-0で迎えた2回表のことだ。「山本浩二さんに(通算)500号本塁打を打たれて、その次の福島(久晃)さんに安打を打たれた瞬間、肘が飛んだんです。浩二さんに打たれてショックもあったんでしょうね。福島さんに投げてパキッっていって、あっ、て……。それで降板しました」。好事魔多しということか。4試合連続完投で調子を上げていただけに、悔しすぎる故障リタイアとなった。
「その試合は、結婚前ですけど、嫁さんが名古屋に来て、初めて試合を見た日だったんです。僕の知り合いと一緒にね。で、僕は(降板後)病院に直行して、嫁さんも病院に来て……(笑)。そんなこともありましたけどね」。その後、杉本氏は10月下旬に1軍復帰し、リリーフで2試合を投げてシーズンを終えた。「最後に投げられるという事実を残して、その年は終わったと思います」。
無念の中日移籍1年目になったが、ズルズルとはいかなかった。その悔しさを杉本氏は糧にした。「田尾さんに負けたくない」の思いも引き続き胸に秘め、翌1986年は2桁勝利をあげて復活。中日でも先発左腕として、貴重な戦力になっていった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)