指揮官と中日エースが異例の“対決” 「負けたらペナルティ」も…待っていた結末

杉本氏は中日移籍2年目に12勝をあげるもチームは低迷
元中日左腕の杉本正氏(野球評論家)は、西武から移籍2年目の1986年にチーム最多の12勝をマークした。オールスターゲームに監督推薦で出場するなど、堂々たる活躍だった。しかしチームは5位に低迷。7月に山内一弘監督が途中休養し、高木守道監督代行体制になった年でもあった。“握手で決まった交代劇”、“巨人戦での裏対決”など、杉本氏が2人の指揮官との思い出を明かした。
中日2年目は3完封を含む10完投。182回2/3を投げて12勝13敗、防御率3.01。黒星を先行させてしまったが、年間を通して力を発揮した。開幕2戦目の広島戦(広島)を8回1失点で1勝目。4月11日のヤクルト戦(ナゴヤ球場)では1失点完投で2勝目を挙げた。前半で7勝をマークし、監督推薦で西武時代の1982年以来、2度目の球宴出場も決めた。
7月20日、大阪球場で行われた球宴第2戦に先発して3回2失点。2回までは無失点も、3回に南海・山本和範外野手に2ランを浴びた。「2回を投げ終わった時に代わるものだと思ったら、3回表の打席でそのまま行けって言われてね。(広島の高橋)慶彦さんのヘルメットを被り、バットも借りてセンターフライ。その裏に打たれたんですよ」。
当時の球宴はDH制を採用していなかった。杉本氏は「2回で終わっておけばよかったのにね。まぁ、オールスターで(投手に)打席に立つほど投げさせるな、ってことですよね。その後、慶彦さんモデルのバットを使うようになったんですけどね」と、笑みを浮かべながら振り返った。そんな球宴の2週間前の7月5日、低迷していた中日は山内監督の休養を発表し、高木監督代行体制に移行した
熱心な打撃指導が有名だった山内監督は、“身体・感情・知性”の3種類の心身状態の波を表すバイオリズムを選手起用にも取り入れていた。杉本氏は「試合前に呼ばれて、今日のお前は何をやってもOKだから、中尾(孝義捕手)の言う通りに投げろって言われたりね」と懐かしそうに話す。「試合中に『ちょっと来い、俺と握手しろ』って言われて、握手したら『握力がなくなっているから交代しろ』って。そんなこともありましたね」。
高木監督代行と“対決”、完投したら監督賞
杉本氏は5月28日の広島戦(広島)に先発し、6安打完封で5勝目を挙げたが、この時は球場入り前の宿舎で山内監督に呼ばれたという。「行ったらお坊さんみたいな人がいてね。うつ伏せになってホットパックしてくれて、それから蒸しタオルのようなもので背中を叩かれた。完封したら“あれが効いただろう”って」。その“施術”を受けたのは1回切りだったが、山内監督がよかれと思ってやってくれたこと。印象にも残っているわけだ。
また、高木監督代行とは9月21日の巨人戦(ナゴヤ球場)で“対決”したことがあったという。「マネジャーを通じて『監督(代行)と勝負してみたら』と言われたんです。完投したら、高木さんが僕に監督賞を出して、負けたらペナルティみたいな感じでね。で、その試合で完封したんですよ」。完投どころか完封で12勝目を挙げた試合だった。結果的には高木監督代行にうまくのせられ、その年のチームトップの勝ち星を掴んだ。
さらに杉本氏は笑いながらこう続けた。「その折り返しでね、(9月28日に)後楽園で巨人戦があったんです。で、『もう1回やるか』って話になったんですけど、その時は『もういいです』って断ったんですよ。そしたら(巨人に)やられたんです」。駒田徳広外野手に一発を浴びるなど、4回3失点で12敗目を喫した試合だった。
中日が5位に沈んだ苦しい年に杉本氏がエース格として活躍できたのも、山内監督や高木監督代行の“バックアップ”もあってのことだったが、そんな2人との“関係”もここまで。オフには当時39歳で現役時代には“燃える男”と称された、中日OBの星野仙一氏が監督に就任する。この若き“闘将”との出会いも、杉本氏のプロ野球人生を色濃くしていく。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)