中日監督が「よこせ!」、左腕は拒否「嫌です」 記者席も騒然…1本の安打が生んだ“混乱”

元中日の杉本氏が振り返る闘将・星野仙一監督との思い出
元中日左腕の杉本正氏(野球評論家)は、プロ7年目の1987年にキャリアハイの13勝を挙げた。背番号を「14」から「21」に変更し、星野仙一監督1年目のシーズンでの活躍だった。巨人戦の開幕投手の大役から始まり、5月は月間MVPにも輝いた。6月には、闘将の降板指令に「嫌です」と首を横に振って“ひと騒動”も起こした。
1986年10月29日、中日の新監督にOBの星野氏が就任した。現役時代は闘争心むき出しの投球で“燃える男”と呼ばれ、引退後はキャスターとしても人気を博した当時39歳の青年監督誕生は大きな注目を集めた。打倒巨人を旗印に掲げ、就任早々、ナインには「覚悟しとけ!」とメッセージを送るなど、常に話題の中心だった。
11月20日のドラフト会議では、中日を含む5球団が競合した享栄高(愛知)の左腕・近藤真一投手のクジを引き当ててガッツポーズ。12月23日には巨人移籍濃厚とささやかれていたロッテの主砲・落合博満内野手を、抑えの牛島和彦投手、レギュラー二塁手の上川誠二内野手、貴重な左腕・桑田茂投手、若手成長株右腕・平沼定晴投手の4選手と交換する“世紀のトレード”で世間を驚かせた。
そんな騒々しいムードのなか、杉本氏は1987年のキャンプ、オープン戦と順調だった。この年から背番号を、尊敬する西武エースの東尾修投手と同じ「21」に変更。「当時、中日の14番は怪我が多いと言われていたんです。僕も(移籍1年目の1985年に)左肘を怪我したし、変えたいという気持ちは以前からあって、ちょうど21番が空いたので『変えてください』とお願いしたんです」と新たな気持ちで臨み、実戦で結果も出した。
「オープン戦では5試合くらい投げて、そのうち3試合に先発して3勝だったかな。22イニングで1点もとられなかったんです」と話す。「当時はオープン戦大賞というのがあり、それをもらえるものだと思っていたんです。だけど7本塁打の(中日の)宇野(勝)さんになった。中日のオープン戦が23試合でね。僕は規定(投球回の23)に足りていなかった」
悔しい思いをしたが、オープン戦の好投が星野監督に評価され開幕投手に指名された。「僕は(開幕)2試合目、3試合目でいいと思っていたので、開幕は全然意識していなかったんです。星野さんの(監督としての)最初の試合なので、(エースの)小松(辰雄)が投げるものだと思っていたので、えっ、てなりましたよ。誰にも言わなかったし、小松も“誰なんだろう”と思っていたでしょうね」。
投手に安打を打たれた直後に「ボールをよこせ!」
4月10日の開幕戦は、敵地・後楽園球場での巨人戦だった。その試合からユニホームがドジャースモデルに変更される“演出”もあった中、杉本氏は先発マウンドに上がったが、5回6失点で敗戦投手。初回、4番のウォーレン・クロマティ外野手の適時二塁打で1点を失いリズムを乱した。中日は鈴木孝政投手が先発した2戦目も落として連敗。3戦目に小松投手が3安打完封し、星野監督に初白星をプレゼントした。
のちに星野氏は「あれは3連勝しようと思ってローテーションを組んだんだ。全部勝ってやろうって俺が色気を出したんだよ」と振り返ったが、杉本氏は「その後もなかなか勝てなくて、焦りました」と苦笑する。その年の初勝利は4月26日の大洋戦(横浜)。シーズン4登板目での白星だったが、一つ勝ったことで調子は上向き、5月2日の広島戦(広島)では1失点完投勝利で2勝目を挙げた。
その試合は中日・川又米利内野手が、広島・正田耕三内野手の“みぞおちタッチ”に怒り、乱闘騒ぎに発展。星野監督は初めて退場処分を受けた。杉本氏はそんな騒動にも全く動じることなく、9回を投げ切った。5月はその後も白星街道をばく進し、5勝0敗で月間MVPに輝いた。
そんな中、6月最初の登板で“事件”が起きた。5日のヤクルト戦(神宮)に先発し、2回と3点に1点ずつ失ったが、打線が4回に4点を奪い逆転。4-2で迎えた5回裏のことだ。「ピッチャーの中本(茂樹)さんに、ファウル、ファウル。(捕手の)中尾さんはアウトコースの真っ直ぐしか出さないし、僕も打たれると思っていないので投げたらカーンとセンター前に……」。
直後、杉本氏に思わぬ展開が待っていた。「その瞬間、ベンチから星野さんがダーッと(マウンドに)走ってきて『ボールをよこせ!』って言われたんです」。相手投手に打たれたことが気に入らない指揮官の“降板指令”だったが、勝利投手の権利を得るイニングであったため、杉本氏は「嫌です」とボールを渡さず交代を拒否した。「2回やりとりしました。『よこせ!』『嫌です』ってね」。
降板拒否騒動翌日は妹の結婚式、謝罪に向かった監督室
星野監督に反抗する姿は、ネット裏の記者席でも「ボールを後ろに隠したぞ」との声が上がったが、交代は変わらなかった。「星野さんが『もういい!』と言ったから、ベンチに帰るものだと思ったら、審判のところに行って『ボールをくれ』って。それで降板したわけです」。試合はその後、点の取り合いとなったが、中日が9-6で勝利。白星は4番手の郭源治投手についた。
話はさらに続く。「その翌日(6月6日)が妹の結婚式で、事前に(投手コーチの)池田(英俊)さんに『行かせてください。監督に言ってください』とお願いして『分かった』と言ってもらっていたんです。でも、あんなこと(降板拒否騒動)があったから池田さんに『明日、大丈夫ですよね』と確認したら『自分でもう1回言いにいけよ』って。それで監督室に行き事情を話したんです。まず(その日のことを)すみませんって謝ってからね」。
星野監督は穏やかな表情だったという。「『本当に妹か』とか言われて『ようけ祝儀を持って行って来い』って言ってくれたんです」。そのため翌6日のヤクルト戦に杉本氏の姿はなかった。事情を知らない報道陣は、昨日の今日だけに「なんで、いないんだ」と一時、ちょっとした騒ぎにもなった。星野監督に堂々と立ち向かった投手としても、この年の杉本氏はインパクトを残したわけだ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)