ジャイアンツの植松泰良コーチは高校時代、控え捕手だった―独自インタビュー後編―
成功への道は、必ずしもエリート街道だけではない。ジャイアンツでクオリティ・コントロールコーチを務めている植松泰良氏のキャリアは、驚くべき「運」と、チャンスを逃さない「ハッタリ」から始まった。
千葉県出身。小学3年生から野球を始めた。西武台千葉高へ進学したが、植松氏に華々しい実績はなかった。
「レギュラーではなかったです。3年間、公式戦に1回も出たことがなくて」
3年生でベンチ入りは果たしたものの、一度も公式戦のグラウンドに立つことはなかった。しかし、その悔しさが彼を未知の地へと向かわせた。高校卒業後は語学留学とスポーツ医学を学ぶために渡米。大学の最終年にトレーナーとしてツインズのキャンプに参加したが、就職先は見つからなかった。
転機は、大学でバッティング投手やブルペン捕手を務めていた際、監督がジャイアンツのスカウトに話をしてくれたことだった。たまたま3Aのチームがブルペン捕手を探しており、そこからジャイアンツでのキャリアが動き出した。
2006年に入団し、2008年には25歳の若さでメジャー昇格。2010、2012、2014年と3度のワールドシリーズ制覇も経験した。かつてベンチを温めていた少年が、いつの間にかメジャーのブルペンで最高峰の投球を受ける存在になっていた。
「嘘」から始まったスペシャリストの道「最初は何も知らないまま入りました」
現在の「癖を見抜く」仕事に就いた経緯もドラマチックだ。
ある時、コーチから「日本でこういうこと(癖の研究)をやってたんでしょ?」と問われた。実際には未経験だったにもかかわらず、植松氏は「やってた、やってた」と答えてその仕事を引き受けた。
「最初は何も知らないまま入りました。結局、それがチームの役に立ったんです。実際にやりながら自分の技術を高めていきました」
チャンスがあれば、どんな形であれ食いつく。そのハングリー精神こそが、メジャーの常勤コーチにまで押し上げた。自分に特別な技術があるわけではなく、人との関わりとタイミング、そして運が重なった結果だと謙遜するが、そのチャンスを実力で正解に変えてきた。
一方で、信頼の重みも痛感している。高校時代の監督から教わった「信頼を失うのは簡単で、信用をつかむのが本当に大変」という言葉を今も忘れない。選手の人生を左右する情報を扱う以上、1回でも間違えれば信用を失う。だからこそ、試合前に投手が癖を変えてくる可能性まで考慮し、準備に一切の妥協を許さない。英語も大学時代に必死に習得し、今ではメジャーの一流選手やコーチ陣と対等に渡り合う。
最終目標は「いつか日本で、NPBで、自分のような人間が監督をできる時代が来たら…」
植松コーチには、明確な恩師と目標がある。自身をコーチに引き上げてくれたマーク・ホールバーグ氏(現ツインズ・ベンチコーチ)への恩義だ。「彼のおかげでコーチに昇格して、ここまでなれた。マークは将来メジャーの監督になると思う。いつか彼の力になれるように」。そして、その先にある夢は太平洋の向こう側、母国・日本にある。
「メジャーでベースコーチをして経験を積んで、いつか日本で、NPBで、自分のような人間が監督をできる時代が来たら、日本で監督をやってチームをまとめていきたいという目標はあります。日本球界に恩返しできたらと思っています」
メジャーで培った最先端の経験や指導法、そしてデータの活用法を、少しでも日本へ還元したいという思いが、植松コーチの最終目標だ。
タイミングと運、そして人との関わりを大事にしてきた。高校野球の公式戦に一度も出られなかった控え捕手が、NPBのベンチで采配を振る。そんな日が来ることを本気で目指している。
(小谷真弥 / Masaya Kotani)