リーグ戦Vも離脱…監督から「何やったんだ!」 “12時間”の酒宴が招いた異変「弱っていた」

元中日・米村明氏【写真:山口真司】
元中日・米村明氏【写真:山口真司】

米村明氏は中大1年春からリーグ戦登板…2年春に優勝貢献も思わぬ形で離脱

 大学でも山あり、谷ありだった。元中日左腕の米村明氏は1978年に中央大に進学し、1年生から投手として頭角を現した。1979年の2年春には2年先輩の香坂英典投手(元巨人)とともに、先発の柱として東都大学リーグ優勝に貢献した。しかし、中大が優勝した6月の第28回全日本大学野球選手権大会には「1試合も投げていません」と言う。「その時は、入院していたんです」とまさかの事態に見舞われていた。

 PL学園から中大に進学した米村氏は、いきなり結果を出した。「東大とのオープン戦で、(宮井勝成)監督が『ピッチャー、誰かおらんか』と言ったら『小さいですけど米村っていうのがいいボールを放りますよ』という話になって登板したんです」。その試合で好投したのをきっかけに先発で使われるようになり、「春のリーグ戦でも4連勝しました」。もともと投手に乗り気ではなく、大学では野手志望だったが、思いとは裏腹に投手として戦力になったわけだ。

 その頃に授業料全額免除の立場に“昇格”したという。「最初はそうじゃなかったんですけど、全額免除だった同級生が体調を崩して特待免除から外れて、1枠余ったんで、僕がそこに……。入学してからそうなったんです。だから入学金は払いましたけど、あとは払っていないです」。セレクションを経ての入学でも全額免除になる選手は多くない。まさに米村氏は実力で、その“ポジション”もつかんだ形だった。

 中大で好スタートを切った米村氏は1979年の2年春には東都大学リーグ優勝に貢献した。東洋大との開幕戦でノーヒットノーランを達成したエース・香坂に続く投手として存在感を示した。「最後に亜大戦を残して、僕が4連投しました。負け、引き分け、勝ち、勝ちだったと思う。全部で500何球投げましたね。で、『よっしゃ、あとは亜大に勝てば優勝だ!』と先輩たちも盛り上がって『ヨネ! 飲みに連れていってやるわ』。『ありがとうございます』と言って行ったんです」。

 その後、チームは優勝を飾ったが、米村氏は思わぬ事態に苦しんでいた。「4連投して飲みに行った翌日のことです。歯を磨いていると、『おい、お前、目、結膜炎じゃないか』って先輩に言われたんです。それでも練習に出たんですけど、監督が僕の顔をパッと見て『おい、今から病院に行って来い!』って。戸惑っていると『お前、それ、黄疸っていうのを知らんのか。昨日、何やったんだ!』と。『いや、何もやっていません』と言うしかなかったですけどね」。

急性肝炎で入院→秋の入れ替え戦に病み上がりで登板…1部残留に貢献

 前日、先輩たちに連れられた酒席で飲み過ぎていた。「夕方6時から朝の6時まで一気飲みばかりでしたからね。まぁ昔の『俺の酒が飲めんのか』ってヤツです。『いただきます』と言って飲み続け、トイレに3回は駆け込みましたね」。それが響いての体調急変だった。「病院に行ったら急性肝炎。疲れていたから肝臓も弱っていたみたいです。それで入院することになったんです」。まさかの離脱になった。

 春の東都を制した中大は、全日本大学野球選手権も決勝で早大を下して優勝したが、リーグ優勝の立役者の一人でもあった米村氏は登板できる状況ではなかった。「8月か9月くらいまで入院していたと思います」。そして、チームは秋のリーグ戦で一転して最下位になった。エースの香坂も右肩痛を発症。投手力が低下しての厳しい結果で、2部優勝の日大との入れ替え戦に臨むことになったが、ここで米村氏に出番が来たという。

「(日大との)初戦は僕の同級生が投げて勝ったんですけど、2戦目はピッチャーがいないってことで『ヨネ! 投げられるか』って言われたんです。まだ退院してそんなに時間が経っていないし、走り込みとかをやって体を作っている時でしたけど、投げました。完投して勝ったんです」と1部残留に貢献。決して万全な状態ではない中で、いつも以上に気合も入っていたようだ。

「9回だったかな、ヒットかホームランを打たれて、監督がベンチから出てきたんですよ。(病み上がりで)僕にスタミナがないことはわかっているから心配してね。でも、僕、その時『大丈夫やから、帰れ!』って監督に言ってしまったんです。あとで怒られました。『俺を帰らせたのはお前くらいのもんだ、この野郎!』って。『すみません。大丈夫と思いましたから』と頭を下げると、『おう、そうか』で終わりましたけどね」。病気、入院のアクシデントはあったが、米村氏は中大で着実に成長していった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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