中日から指名も「名古屋にあるんですか?」 諦めていたプロ入り…地元記者へ“失言”で赤っ恥

中日で活躍した米村明氏【写真:山口真司】
中日で活躍した米村明氏【写真:山口真司】

1984年11月20日のドラフト会議、当日は「普通に練習」

 1984年のドラフト会議で社会人野球・河合楽器の左腕、米村明氏は中日から5位指名されてプロ入りした。当時、大卒3年目の25歳。その年のロサンゼルス五輪で金メダルに輝いた野球日本代表メンバーでもあったが、実は事前にプロからの誘いの話は全く、諦めムードからの“逆転劇”でもあった。それだけにドラゴンズからの指名にはとにかくびっくり。予備知識もなさすぎて、恥ずかしい“発言”もしてしまったという。

 金メダリストとなって帰国した米村氏は中大時代の恩師・宮井勝成監督から「もう大丈夫。これでお前は実績を作ったから、安心してドラフトを待っとけ」と言われたという。だが、その後、プロサイドからの直接的なアクションはどこの球団からもなかったそうだ。「宮井さんが言ったのは何だったのか、全くわかりませんでした」。1984年11月20日のドラフト会議は、そんな状態のまま迎えた。

「その日も普通に練習していました」。ドラフト指名は、すっかり諦めていたという。「だって(プロからも宮井監督からも)音沙汰がなかったんですから。どこの球団も(自分を)見に来るわけでもなかったし、どこの球団のスカウトと会うこともなかったんです」。事前に何もなかったのだから、どこの球団に指名されそうとか予想することもできるわけがない。山内一弘監督率いる中日に5位指名されるなんて、思ってもいなかったそうだ。

「練習が終わって会社の前にバスが止まると、マネジャーが駆け足で来て、(バスに座っている)僕のところで(外から)ジャンプしてバンバン、バンバン叩くので、窓を開けて『どうされましたか?』と聞いたんですよ。そしたら『お前、ドラフト、かかったぞ』って。僕はね『嘘ばっかり言ったらアカンわ!』って怒ったんですよ。てっきり冗談だと思ったんでね」。それが現実の話と知った時にはただただ驚くばかりだった。

ドラフト指名会見でまさかの一言「ドラゴンズってどこにあるんですか?」

「マネジャーに『もう取材で、新聞記者も来ているから、今からちょっと行ってこい』と言われて、初めて本当のことだとわかったんです。中日から指名されたってこともね。その時点では何位で指名されたのかは知りませんでしたけどね」。会社で取材を受けたという。「外は真っ暗だったし、18時よりも、もっと遅い時間だったのかなぁ。そこで、僕、アホみたいなことを言ってしまったんですよ。中日のことがよくわかっていなかったんでね」と米村氏は苦笑する。

 そもそも、あまり興味ある球団でもなかったのだろう。「記者の方に囲まれた時『ドラゴンズってどこにあるんですか? 名古屋にあるんですか?』って聞いてしまったんですよ。『えっ、知らないの。(ナゴヤ)球場は新幹線でも見えるでしょ』と言われても『そうですか。ちょっと記憶にないですね』って言ったりして。今、考えても無知もいいところでした。(球団親会社の)中日新聞の人には怒られました」。

 PL学園時代に南海(現・ソフトバンク)、中大時代にはヤクルトから誘われ、社会人2年目の時は大洋(現・DeNA)スカウトから熱視線を送られたこともあった米村氏だが「当時の中日の田村(和夫)スカウト部長は中大OB。その縁もあって指名していただいた」と後に理解したという。もちろん、そこには中大・宮井監督のバックアップもあったのは言うまでもない。入団交渉もスムーズに進行して晴れて中日の一員になった。

「でもね、田村さんは僕を指名したために大変だったんです。周りから『(身長が)172(センチ)しかないのに、ただ左ピッチャーというだけで、何で指名したんだ』と言われたそうで……。プロ3年目(1987年)、中日監督が星野(仙一)さんの時に僕が抜擢されて、やりだした時は『ヨネ! これで、しょうもない後輩を獲ったって言われずに済むわ』って泣きながら喜んでくれましたから」。そう言われるほど、プロ入りを果たした後が大変だった。待っていたのはレベルの違いと厳しい評価。米村氏のドラゴンズ一筋のプロ人生はまず挫折から始まる。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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