延長17回の死闘、骨折抱えて投げた773球…夏の甲子園に残る敗れ去った者たちの記憶

横浜時代の松坂大輔氏【写真提供:産経新聞社】
横浜時代の松坂大輔氏【写真提供:産経新聞社】

Full-CountのXでアンケートを実施…ポッドキャスト番組で紹介

 第108回全国高校野球選手権大会が阪神甲子園球場で開幕し、連日熱戦が繰り広げられている。数々のドラマを生んできた舞台で今年も記憶に刻まれる選手や試合が現れる。Full-Countは開幕を前に「今でも忘れられない球児」をXでアンケートを実施し、ポッドキャスト番組「Full-Count LABー探求のカケラー」の前編・後編で紹介した。挙がった名前の半数近くは、勝った試合ではなく、敗れた試合や場面で記憶されていた。プロ野球へ進まなかった選手も目立つ。続きのない夏ほど、長く記憶に残るようだ。

 昨夏は沖縄尚学(沖縄)の優勝で沖縄野球が話題になったが、第73回大会(1991年)の決勝で大阪桐蔭(大阪)に8-13で敗れた沖縄水産(沖縄)の大野倫投手は、右肘の骨折を抱えたまま773球を投げ抜いた。閉会式でも右腕は伸びたままで「泣くでもなく、疲弊とも安堵ともつかない表情が忘れられない」とファンからコメントが寄せられた。

 打たれた側の名前も多い。1994年、第76回大会の決勝で佐賀商に満塁本塁打を許した樟南(鹿児島)の福岡真一郎投手については、打球を見送る瞬間が挙げられた。当時中学生だったというファンは「戦い抜く姿がまぶしすぎた」と振り返っている。福岡投手は爽やかな笑顔が魅力で、後に広島へ入団する捕手・田村恵とのバッテリーで人気を博した。

 1998年、第80回記念大会の準々決勝、横浜(東神奈川)とPL学園(南大阪)による延長17回の激闘は、今もなお語り継がれている。PL学園のエース・上重聡投手は、力尽きて片膝を突いた敗者の姿として、ファンの記憶に刻まれた。

 編集部は、後にフリーアナウンサーとなった上重氏を取材している。「ボールを通じて松坂大輔投手と会話しているような気持ちだった。『自分は抑えた、次はどうする』と」。投げ合いを勝ち負けではなく、互いの投球で言葉を交わすやり取りとして捉えていた。敗れてなお相手への敬意がにじむ回想は、勝った側の記憶より濃く残っている。

プロへ進まなかった選手の名前

 2005年、第87回大会で山口大会から準決勝まで10試合を1人で投げ抜いた宇部商の好永貴雄投手も名前が挙がった。京都外大西との準決勝で一塁への送球が乱れ、逆転を許して夏を終えている。卒業後は社会人野球へ進み、今は指導する側に回った。2009年、第91回大会の決勝で9回2死から中京大中京(愛知)を追い上げた日本文理(新潟)の伊藤直輝投手も、卒業後はヤマハでプレーを続けた。

 1992年、第74回大会を制した西日本短大付(福岡)の森尾和貴投手にも票が集まった。プロへは進まなかったが、高校野球ファンの記憶は鮮明で、「松坂大輔が現れる前のナンバーワン右腕」という声も届いた。

 勝ち続けた選手やプロへ進んだ選手には、先へ続くストーリーがある。敗れて競技を離れた球児も、別の道で白球を追い続ける球児も、最後の夏に注いだものは変わらない。5日から始まった大会でも、勝ち残る球児より、負けて夏を終える球児のほうがずっと多い。名前の残らなかった一人ひとりの姿が、いつか誰かにとっての忘れられない球児になる。

(楢崎豊 / Yutaka Narasaki)

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