SNSでバズる応援歌の原点 亡き名将から託された思い…拓大紅陵が“オリジナル”にこだわるワケ

拓大紅陵は24年ぶり6度目となる夏の甲子園出場
第108回全国高校野球選手権大会の第8日は12日、甲子園球場で2回戦が行われ、第1試合で拓大紅陵(千葉)は佐賀商と対戦。4回に7番・阪本幹太内野手(3年)の適時二塁打で先制すると、1点のリードを守り切り、1-0で勝利した。ナインの背中を押したアルプスの応援も話題を集めた。
24年ぶり6回目となる夏の甲子園出場を果たした拓大紅陵。千葉大会決勝では、4番・片岡拓月捕手(3年)が9回に逆転3ランを放ち、選抜4強の専大松戸に劇的勝利を収めた。
SNS上では迫力のある応援にも注目が集まった。X(旧ツイッター)では「拓大紅陵」がトレンド入り。応援の中心には“日本一の野球応援”をスローガンに掲げる吹奏楽部の存在があった。2021年には“美爆音”で知られる習志野高校吹奏楽部と合同で「野球応援コンサート」を開催するなど、精力的な活動を行っている。
拓大紅陵の応援が愛される理由の1つに、豊富なオリジナル曲の存在がある。「チャンス紅陵」や「レッツゴー紅陵」などは、高校野球ファンの間で長く親しまれている名曲。今回の甲子園応援は、オリジナル曲を中心に全23曲で構成して臨んだ。
これほど多くの楽曲を一体だれが作曲したのか。その“仕掛け人”は応援団の最前列にいた。ユニホームを身に纏い、大きな声援を送るのは、吹奏楽部の顧問を務める吹田正人氏。1985年に同校へ着任して以降、実に40年以上、オリジナル曲の作成に注力してきた。
吹田氏がオリジナル曲での応援にこだわる理由とは。その裏には“亡き名将”から託された思いがあった。

名曲誕生のキッカケは亡き名将からの“お願い”
吹田氏が着任する1年前の1984年、拓大紅陵は春夏連続で甲子園出場を果たすなど、躍進を見せていた。野球部を率いていたのは、2014年まで同校の指揮を執り、春夏通じて9度の甲子園に導いた小枝守氏(故人)である。
小枝氏は着任したばかりの吹田氏に「子どもたち、学生たちがプライドを持てる応援をやって欲しい」「この曲を聴いたら紅陵だと思えるような曲を作ってほしい」と、“お願い”したという。
吹田氏は指揮官の思いに応えるため作曲に取り組んだ。苦心の末、初のオリジナル曲として誕生したのが「レッツゴー紅陵」だった。そして、翌1986年には名曲「チャンス紅陵」を生み出し、1992年に夏の甲子園で準優勝を果たしたことで、一躍“全国区”となった。
しかし、2002年以降は苦戦が続き、拓大紅陵は聖地から遠ざかっていた。さらに、監督を退いていた小枝氏が2019年に67歳で逝去。吹田氏は小枝氏の妻から、実際に使用していたキャップを託されたという。
「野球応援の時には、この帽子を使わせて貰っています」。24年ぶりの聖地、亡き名将の思いと共に――。誰よりも大きな声で声援を送り続けた。
(井上怜音/ Reo Inoue)