「へらへら笑って野球をしたいなら去れ」 小宮山監督が選手に問い続けた“WASEDA”の覚悟

8年間指揮、9月12日開幕の東京六大学秋季リーグがラストシーズン
9月12日開幕の東京六大学野球秋季リーグを最後に、8年間にわたる指揮に終止符を打つ早大・小宮山悟監督が8月31日、都内の早大大隈会館で退任会見を開いた。後任には秋季リーグ終了後の12月1日から、社会人野球のプリンスホテルや長野・松商学園高で監督を務めた足立修氏が就任する。
小宮山監督は2019年1月に就任し、今春までの15シーズンで3連覇(2024年春~2025年春)を含め優勝4回。その間、楽天・早川隆久投手、西武・蛭間拓哉外野手、楽天・伊藤樹投手らを指導した。
小宮山監督自身は、千葉・芝浦工大柏高卒業後、2年間の浪人生活を経て早大に進学。投手としてリーグ通算20勝10敗、防御率1.85をマークし、4年時には主将を務めた。1989年ドラフト1位でロッテ入りし、2000年には横浜(現DeNA)へ移籍。2002年にはMLBのメッツでプレーし、リリーフで25試合に登板(0勝3敗、防御率5.61)した。2004年にロッテに復帰。NPB通算18年で117勝(141敗)を挙げている。
大学在学4年間が1986(昭和61)年から1989(平成元)年だった小宮山監督の指揮スタイルは、記者の私見を言わせてもらえれば、“ぶれない昭和の頑固オヤジ”である。
昭和の時代と令和の現代では、若者の気質や社会の風潮が大きく変わり、指導者も変化を余儀なくされている。簡単に言えば、昭和の時代に通用した指導法が、今では“パワハラ”と受け取られることがある。
それでも小宮山監督は、「当時(自身の学生時代)と比べると、今の学生の方が“学ぶ”ということは、はるかにできていると思います。ネット社会で、いろいろな情報をワンクリックで簡単に得られる時代ですから、それを手にして、いろいろ考えながらやっているのでしょう」と評する一方、「当時と比べて足りないのは、我慢強さです。歯を食いしばることができない連中が多過ぎるので、そこの部分を何とかしてやろうと指導に携わってまいりました」と言い切った。

「ちょっとやそっとでは、へこたれない連中になりつつある」
さらに「ひとりよがりと言われるかもしれませんが……」と断った上で、「『早稲田大学の野球というものは、その辺の野球部とは違う。ましてや大学の中のサークルと同じようなことではダメだ。へらへら笑って楽しく野球をしたいなら、ここを去れ。志を持って早稲田のユニホームを身にまとい、神宮の舞台に立ち、早稲田のために頑張るという思いのあるやつが歯を食いしばって頑張れば、野球の神様がそれなりのことをしてくれるはずだ。その気持ちがないやつは、いてもらっては迷惑だから、俺の目の前から消えてくれ』というくらいのことを、学生たちに言ってきました」と力を込めた。
「彼らに罵声を浴びせることも多々ありましたが、真剣に神宮に立ちたい思いがあるなら、そんなことにへこたれている場合ではない。世の中的にはパワハラということになるかもしれないが、言葉をかけた連中にとっては、なにくそ今に見ていろと、負けん気が培われる瞬間だと思っています」と説いた。
最後のシーズンを前に「ちょっとやそっとではへこたれない連中に、なりつつあると思います」と手応えも口にした。
9月15日の誕生日で61歳となる小宮山監督は、退任後について「野球をずっとやってきたので、野球以外のことで飯を食おうという気持ちはさらさらありません。野球に関する何かをしようと思っています」と語る。
2009年10月に千葉マリンスタジアム(現ZOZOマリンスタジアム)で行われた自身の現役引退セレモニーでは、通算16年在籍したロッテファンを前に「いつの日か近い将来、このユニホームを身にまとい、この場所に戻ってこられる日が来ることを願って、引退のあいさつに代えたいと思います」と吐露した経緯がある。
その件については「あれから17年も経ってしまった。近い将来どころか、俺がロッテの選手だったことを知っているサポーターは誰もいないのではないか」と苦笑しつつ、「あの時に口にした手前、その可能性があるなら、準備しないといけないと思っています」とも語った。
小宮山監督の教えを受けた若者たちは今後、野球界や一般社会で、どんな大人になっていくのだろうか。そして小宮山監督自身がまたユニホームに袖を通す日は来るのだろうか。
(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)