リーグ優勝も「うれしくなかった」 望まなかった転向…指揮官に反発、オフに伝えた“本音”

山沖之彦氏は1984年の日本シリーズで広島と対戦
自然と闘争モードに切り替わった。山沖之彦氏は阪急ブレーブスの1984年パ・リーグ優勝に抑え投手として貢献した右腕だ。25セーブポイントで最優秀救援投手のタイトルも獲得した。常に「先発したい。リリーフは嫌」との不満を抱きながらも、マウンドではそんなことを感じさせずに結果を残した。広島との日本シリーズでも4試合に登板して2勝1セーブ。阪急が3勝4敗で日本一を逃した中で気を吐いたが、そのシリーズでは忘れられない“失敗”があったという。
プロ3年目(1984年)の成績は48登板、11勝8敗15セーブ、防御率4.10。最優秀救援投手に輝くなど、阪急の抑え投手として存在感を示したシーズンだった。リリーフ起用を決して望んでおらず「優勝してもうれしくなかった」と言いながらも「ユニホームを着たら、プレーがかかったら、そういうことも忘れるんですよ。目先の“あれ”しかないから」と戦いの“スイッチ”が入れば、もはや関係ない。持てる力をフルに発揮して白星やセーブを積み重ねた。
広島との日本シリーズもそうだった。山沖氏はペナントレース同様にリリーフ起用となり、気持ち的には「面白くない」が継続されながらも“本能”でカープ打線に向かっていった。シリーズ初登板の第2戦(10月14日、広島)は0-2の8回裏に先発・今井雄太郎投手をリリーフして2回無失点。打線が9回表に5点を取って逆転、9回裏は無死から四球と中前打でピンチを作ったが、遊ゴロ併殺打と左飛で切り抜けて勝利投手になった。
「(9回裏は)長村(裕之)さんがキャッチャーやったんですけど、サインが合わなかった。ピッチャーでサインが違うんですけど、長村さんは自分のサインを知らなかったんです。組んだことがなかったんでね。そういうのも覚えていますね」。その日のスタメンは藤田浩雅捕手だったが、8回の守備から中沢伸二捕手に交代。さらに9回表の逆転劇の際に、中沢に代打が出たことで、3番手捕手の長村がマスクを被り、少しバタバタしたが、それも何とかクリアしたわけだ。

コーチから「初球だけは真っ直ぐでいくな」も…
日本シリーズでの山沖氏の活躍は続く。1勝3敗で迎えた第5戦(10月19日、西宮)は2点リードの8回途中に、第2戦同様、先発・今井投手をリリーフして1回1/3、無失点でシリーズ初セーブ。2勝3敗の第6戦(10月21日、広島)では7-3の3回途中から3番手で早くも登板して6回2/3、無失点。ストッパー右腕がロングリリーフもこなして、勝利投手となって、阪急・上田利治監督の期待に応えた。
その上、翌10月22日の第7戦(広島)でも投げた。2-5の8回1死二塁、打者・高橋慶彦内野手の場面に3番手で登板したが、この時に“失敗”したという。「代わってね、マウンドに集まるでしょ。(投手コーチの)梶本(隆夫)さんに『初球だけは真っ直ぐでいくな』って言われたんです。キャッチャーの中沢(伸二)さんも聞いていたんですよ。で、投球練習が終わるでしょ。中沢さんのサインは真っ直ぐ。こっちも(指示を)忘れていて(タイムリー)ヒットを許して……」。
山沖氏は「打たれているから思い出すんですよ、あの時のことを。梶本さんに『はい、わかりました』と答えといて(中沢捕手からの)サインを見て“真っ直ぐや、よし!”って投げましたからね」と苦笑する。「打たれてから“真っ直ぐは行くなって言われていたんだった。あらぁ”って思ったんですけどね。このことを梶本さんには(2006年に)亡くなられる3年前くらいに話をした。それまでずっと言えなかったんですよ。そしたら『そうやろ、お前』って、『あの時(上田)監督に怒られた』って……」。
そのまま阪急は第7戦に敗れたが、2勝1セーブの山沖氏はシリーズ敢闘賞を受賞した。上田監督のリリーフ起用に反発しながらも、日本シリーズでも精一杯、腕を振った。そして、オフは本音で“勝負”に挑んだ。「確か契約更改の時に“先発をやらせてほしい”って言ったんじゃなかったかな。そうじゃないとハンコを押せないと言ったような、言わなかったような……」。その確約はとれなかった。「(年が明けて1985年1月に)結婚して、仲人は上田監督やし……」。
結局、山沖氏はプロ4年目(1985年)もリリーフでスタートすることになった。4月6日の南海との開幕戦(西宮)では7回途中から2番手で登板して、2回1/3、3失点ながら打線の援護を受けて、勝利投手。シーズン2登板目の4月10日のロッテ戦(西宮)ではセーブを挙げた。4月は1勝1敗4セーブ。だが、5月以降、黒星が先行していった。途中から念願の先発機会も得たが、シーズン成績は7勝14敗6セーブに終わった。加えて右肘の状態も……。一転して“流れ”が悪くなってきた。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)