医師から「もう、やめとけ」 パンパンの右肘、歯磨きすら支障…契約交渉の“破談”が呼んだ悪夢

元阪急・山沖之彦氏【写真:山口真司】
元阪急・山沖之彦氏【写真:山口真司】

山沖之彦氏は4、5年目と成績を下げた

 体が悲鳴を上げた。プロ3年目の1984年にパ・リーグ最優秀救援投手に輝いた山沖之彦氏(元阪急・オリックス、阪神)だが、4年目(1985年)は7勝14敗6セーブと数字を落とした。続く5年目(1986年)は1勝5敗とさらに成績ダウン。これは右肘痛に苦しんだことによるもので「いつだったか、朝起きたらおかしくなっていたんです」と話す。リリーフでフル回転した“3年目のツケ”がついに来てしまった格好だった。

 山沖氏は3年目オフの契約交渉で「先発させてほしい」と訴えてリリーフ生活からの“脱却”を目指したが、結局受け入れられず、4年目も抑え投手として開幕を迎えた。マウンドでは気持ちを切り替えて全力投球。4月18日の日本ハム戦(後楽園)を終えた時点では1勝0敗4セーブと健在ぶりを見せつけていた。だが、4月28日の近鉄戦(西宮)で1点リードの8回にリチャード・デービス内野手に逆転2ランを打たれてシーズン初黒星。そこから“流れ”が悪くなった。

 5月3日の南海戦(大阪)では同点で登板し、勝ち越されて2敗目。5月5日の西武戦(西武)では1点リードの9回、金森栄治外野手(当時の登録名は金森永時)に逆転サヨナラ3ランを浴びて、3敗目と黒星が先行した。その試合を落とした阪急は8連敗を喫した。翌5月6日の同カードでエース・山田久志投手が4失点完投勝利で、チームの連敗は止まったものの、山沖氏は5月8日のロッテ戦(平和台)でも2/3、2失点とリリーフ失敗が続いた。

 皮肉にも、そんな悪い流れを変えるべく、山沖氏は念願の機会を得た。5月13日の南海戦(西宮)で、前年4月30日以来の先発で起用された。しかし、結果は2回4失点で4敗目。シーズン2度目の先発となった5月23日の日本ハム戦(西宮)で6回0/3、4失点で2勝目をマークし、その後は先発、リリーフの併用となったが「あまり記憶がない。たぶん、フラフラしとったんでしょうね、投球内容が……」。最終成績は7勝14敗6セーブだった。

残せぬ結果「大事にされとったのに」

 プロ5年目の1986年は先発要員としてシーズンイン。抑え役を新加入の助っ人右腕アニマル・レスリー投手が務めたためで、山沖氏にとっては、絶好の巻き返しイヤーだったはずで、4月30日のロッテ戦(西宮)では6回3失点で1勝目をつかんだ。だが、この年は、それが唯一の白星となった。先発で1勝3敗だった6月中旬にはリリーフに回され、さらにはプロ入り以来、無理に無理を重ねてきた右肘がとうとう言うことをきかなくなってしまった。

「いつだったか、たぶん西武遠征の時だったと思うけど(宿舎で)朝、起きたら(右肘が)おかしくなっていた。歯磨きしていたら、口がゆすげなかったんです。パンパンに腫れました。それで、かかりつけの整体の先生のところに行ったら『もう、やめとけ』と言われて……」。右肘の治療に専念するために無念の離脱となった。「定期的に名古屋の方に治療に通いました。特に何かしたわけではなく、投げない、動かさない、湿布で冷やすという感じでしたけどね」。

 1軍に戻ったのは9月に入ってから。病み上がりを考慮されたのだろう。登板間隔を空けながら9月と10月に計5試合、先発したが、最初の2試合で黒星を2つ増やし、あとの3試合は勝ち負け関係なし。何とか投げられるメドは立ったものの、5年目は1勝5敗で幕を閉じた。「大事にされとったのに応えていないなぁ。もうちょっと応えないといけなかった」と山沖氏は苦笑しながら苦難の年を振り返ったが、そのままズルズルとはいかなかった。

 5年目のオフは完全復活を目指して、精力的に汗を流し続けた。「ずーっと、やっていましたからね、走ったり、腹筋したり、ボールを持たない練習をね。あの時がプロに入って一番練習をやったときかもしれない。まぁ、やったというか、やらされたというか……」。そんな努力が結果をもたらした。プロ6年目の1987年、山沖氏は先発投手として大活躍。キャリアハイの19勝を挙げ、最多勝のタイトルを獲得することになる。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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