「こんなゆるくていいの?」名門から進学して衝撃 3番手だった右腕が156キロに急成長したワケ

千葉商科大・吉川凌平【写真:横井洸太】
千葉商科大・吉川凌平【写真:横井洸太】

高校時代は3番手、背負えなかった背番号「1」

 高校時代は3番手。そこで培った「基準」があったからこそ、今がある。10月22日のドラフト会議で指名が期待される千葉商科大・吉川凌平投手は、最速156キロを誇る本格派右腕だ。名門・習志野では一度もエースナンバーを背負えず、大学進学後には環境の違いに衝撃を受けた。それでも、自らを追い込む姿勢を変えることはなかった。

 習志野では、同学年の関順一郎投手(現・東京情報大)がエースだった。「同年代のピッチャーの中で、自分だけ1回も1番をもらえなくて」。表向きは「おめでとう」と声をかけていたものの、「ずっと悔しかったですね」と本音を明かす。制球力では「断然、関の方が良かった」と認める一方、「テンポだったり、空振りを取る球は自分の方が勝っているんじゃないの、というのはありました」と自負もあった。

 高校最後の夏も背番号「11」。最後までエースの座をつかむことはできなかった。高校野球を終えてから、大きな転機が訪れた。中学3年時に知人を介して出会っていた、元ソフトバンク・和田毅氏などのトレーナーを務めた土橋恵秀氏に、自ら連絡を入れた。高校時代は長時間の練習などで頻繁には通えず、肩の故障にも苦しんだ。「この人だったら信頼できるし、頼れる」。引退後、迷わず助けを求めた。

 体の使い方を一から見直し、これまで十分に使えていなかった筋肉も鍛えた。その効果は球速にも表れた。高校時代の最速は139キロだったが、大学進学後に急成長。今では156キロを計測するまでになった。「土橋さんと出会っていなかったら、今のスピードだったり、今のボールは絶対に投げられていない。一番尊敬というか、一番助けてもらった人です」。17キロアップの成長を支えた恩人への感謝は尽きない。

 関とは大学でも同じ千葉県大学野球リーグで戦い、今春には互いにエースとして投げ合った。試合には敗れたが「すごい楽しかったですね」。高校の同期には「大学4年間で絶対に負けないという思いでやってきた」と語る。明確な物差しにしたのが球速だった。「スピードだけは絶対に勝ってやる」。156キロを投げるようになると、関は「どうやって出すの?」「同じだったのに」と驚いていたという。

大学で芽生えたエースの責任「1人でもやらなきゃいけない」

 進学先を決める際には戸惑いもあった。もともと大学野球に詳しかったわけではなく、知っていたのは有名校ばかり。「『千葉商科大学どこだ!?』と思って(笑)。すぐに調べました」。高校の指導者とも相談し、最終的に進学を決断した。投手なら「スピードが出たりすれば目立つ」。所属する大学の知名度にかかわらず、自分次第で道は開けると考えた。

 ただ、入学直後には習志野との違いを突きつけられた。「高校が練習とかも厳しくて、レベルの高いことを言われていたんで、最初大学に来たとき、練習内容とか『こんなゆるくていいの?』みたいな」。守備にも違いを感じた。習志野時代は「守備もみんな上手くて、連携も良くて」と振り返る一方、大学では入学当初、味方の失策に直面することも増えた。

 そこで環境の違いを嘆くことはなかった。「エラーされるんだったら自分で抑えるのが、エースだと思うので」。テンポ良く投げ、自分がチームを引っ張る。それができなければ、プロに入っても通用しないと考えた。高校では3番手だった右腕が、大学では自らエースとしての責任を背負うようになった。

 成長を求める姿勢はグラウンド外でも変わらなかった。大学生活を振り返り、「恥を捨てないといけないなっていうのは、結構思いました」と語る。年齢や立場は関係ない。「後輩にも学べることがあったら、不格好でも聞いていました」。周囲が練習していなくても、自分に必要なら1人でも練習する。誰かにやらされるのではなく、自ら必要なものを探す4年間だった。

 かつて習志野で一度も背負えなかったエースナンバー。大学ではエースに成長し、昨春頃からはプロのスカウトが足を運ぶようになった。昨秋以降は試合だけでなく練習にも各球団の担当者が訪れ、メジャー球団からも視線を注がれる。「ただの練習のときにも、来てくれるんだ」。驚きだった光景も、今では日常になった。高校時代の3番手から最速156キロのドラフト候補へ――。自らに課してきた高い基準が、吉川をプロへの入り口まで導いた。

【実際の動画】爽やかなイケメンなのに…投げれば豪快、ドラフトの“ダークホース”は最速156キロ右腕

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