王監督から突然「苦労できてよかったな」 “無念”察した配慮に「何も言えなかった」

元阪急・山沖之彦【写真:山口真司】
元阪急・山沖之彦【写真:山口真司】

山沖之彦氏が寄せるオリックスへの思い

 元阪急・オリックス、阪神右腕の山沖之彦氏は通算112勝をマークし、1995年に現役引退した。その後は野球評論家や社会人野球・NTT西日本の臨時投手コーチなどを務め、神戸・三宮でスナックパブも経営。67歳になった現在は、阪急神戸線六甲駅近くにある『おばんざいカフェ 花唄』を夫人(宝塚歌劇団OGの白川亜樹さん)と営んでいる。野球関係の仕事は解説業を“卒業”するなど控えめだが、オリックスの岸田護監督はNTT西日本時代の教え子。「もうちょっと頑張ってほしいね」と期待を込めた。

 山沖氏は1994年オフにFAでオリックスから阪神に移籍したが、1995年の高知・安芸キャンプで右肩痛に見舞われて離脱した。懸命のリハビリで2軍戦で投げるまでにはなったが、本来の状態には程遠く1軍登板なしでシーズン終了。わずか1年で戦力外を通告され、移籍の可能性もなかったことから現役引退を決断した。FA右腕として期待が大きかっただけに周囲の目も厳しかったが、気持ちを切り替えて1996年から野球解説者を務めた。

「解説に行く時、(各球団の)監督に『よろしくお願いします』と挨拶するんですけど(当時のダイエー監督)王(貞治)さんには『苦労できてよかったな』って言われました」と山沖氏は明かす。阪神での無念の思いを察してくれた王氏の言葉だけに、強く印象に残っているのだろう。「その時、自分はもう何も言えなかったですよ」とも口にした。

「(当時のヤクルト監督)野村(克也)さんには『お前(FAの時)どうしてウチに来んかったんや』と言われました」。山沖氏はFAでヤクルトに移籍するつもりだった。しかし、阪神からも手が挙がったので交渉したところ、ヤクルト側から「(阪神に)決まったんですね」と一方的に言われ、移籍先を阪神に変更。野村氏にいきさつを説明すると、「『そうか、また(ヤクルト球団が)手を引いたか』って言われました。何があったのかはわかりませんが……」と振り返った。

 2005年から2008年までオリックスのコミュニティ課に所属し、少年野球も指導した。「小学生とか中学生。月に1回くらいかな。ユニホームを着てやっていましたね」。社会人野球チームの臨時投手コーチも経験した。「NTT西日本の(臨時)コーチは7年くらいやったかなあ。その後、三菱重工神戸でも3年くらいやりました」。

 その間に三宮でスナックパブも経営したが、現在は六甲で『おばんざいカフェ 花唄』を営んでいる。「嫁さんと2人でやっています。この店は今年で6年目。店主が嫁さんで、自分は従業員ですよ。火、水が休みで、営業は昼が中心だけど、夜も予約があれば、ディナーとかもやっています」。

 野球解説の仕事に関しては「やめました。もうやっていないです」と言い、プロ野球はほとんど見ていないそうだ。ただ、オリックスについては「一緒にやった岸田が監督だし、もうちょっと頑張ってほしいという気はするけどね」と笑みを浮かべた。

岸田監督は教え子…「生意気なやつやなって思ったけど」

 岸田監督はNTT西日本出身で、山沖氏にとって教え子の1人。「あいつだけですよ。(社会人の)オープン戦で『ええから真っすぐだけで行け』と言ったのは。そのくらい投げられた選手やった。真っすぐだけやったら緩急つけるとか何か出てくるだろうと思って行かせたんだけど、コントロールがいいし、緩急つけんでもビシバシ抑えたしね。東北福祉大から入ってきた時に『プロに行けなかったら会社もやめます』と言っていた。生意気なやつやなって思ったけど、2年で本当に(プロに)行ったからねぇ」と懐かしそうに話した。

「あいつ、都市対抗で大会の3日前くらいに肩が痛いって言い出して、全日本に選ばれているのに投げなかったんですよ。で、全日本も断った。“うわー、こいつ凄いな”と思った。普通、都市対抗やし、ちょこっと行くじゃないですか。それを(先を考えて)やめたんだからね。こっちとしては“言うんやったら、もっとはよ言え”って思ったけど(笑)。まぁ、あいつのおかげで、その年は都市対抗に出られたんでね」と思い出は尽きない様子。「なんであいつが監督をできるんだって思うけどね(笑)。まぁ真面目と言えば、真面目な方かなぁ。わかんないけど」と言いつつ、陰ながら応援している。

 今後の夢や目標について、山沖氏は「いやー、何もないよねぇ。嫁さんからは『やりたいことはないの』って野球をやめてからずーっと言われているけどね」と笑う。「今の野球は、自分の考えの野球とは違うからねぇ」とも話した。

 先発は短い登板間隔でも完投するのが当然、リリーフは複数イニングを投げるのが基本だった時代に112勝、24セーブをマーク。どんな状況でも腕を振り続けた。「今は投げさせないもんね。もし、自分の頃にそうだったら(現役を)20年はできていたかなぁ」。

 そう言った後にこう続けた。「いやいや、もし、そうだったら(登板数が減って)その前にすねていたかもね。自分は(先発なら)中4日くらいが一番よかったんですよ。投げて休んで、ゆったり2日して、最後ピッと投げて試合という感じがね。さすがに中3日はきつかったけどね」。リリーフでの“酷使”についても「自分はそんなに投げたって思っていなかった。まぁ、2イニング以上が3日続いたらしんどいというのはあったかな」。

 起用法などに不満を抱くことがあっても、マウンドに上がったらすべてを忘れて投げ続けて成績を残した。それだけに過去のフル回転の代償でもある右肩痛のため、投げたくても投げられなかった阪神での現役ラストイヤーは何よりもつらい日々だったに違いない。だが、阪急・オリックスを支えた長身右腕の雄姿は多くのファンの目に焼き付いている。それは間違いない。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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