県立高から一般受験→六大学でエース 横浜OBが感じた“現代野球”の危機「レベルも下がっている」

始球式を行った川村丈夫氏【写真:小林靖】
始球式を行った川村丈夫氏【写真:小林靖】

通算64試合22勝28敗、2年生の秋に全13試合登板

 シーズン全試合に登板したことのある“伝説の鉄腕”が降臨した。東京六大学野球秋季リーグは1日、神宮球場で立大-明大2回戦の試合前に「レジェンド始球式」が行われ、立大OBで、横浜(現DeNA)でも通算71勝を挙げた川村丈夫(たけお)氏が登板した。

 現役時代さながらの独特のフォームから放たれたボールは、左打者の内角に食い込むようにして捕手のミットに収まった。川村氏は「久しぶり過ぎて緊張しました。ど真ん中を狙いましたが、ちょっと引っ掛かりました。でも、届いてよかったです」と胸をなでおろした。

 神奈川県内屈指の進学校である県立厚木高から、一般入試で立大に現役合格。1991年から4年間で通算64試合に登板し22勝28敗、防御率2.78を記録した。当時チーム成績は振るわず、1年生の秋にリーグ戦デビューした川村氏は計7シーズンで5位5度、4位1度。最後の4年生の秋には東大にも勝ち点を落とし、最下位に沈んだ。

 その中で奮闘した川村氏は、2年生の1992年秋にはなんと、チーム13試合の全てに登板した(計70回1/3、3勝5敗、防御率2.30)。「今の時代とはマッチしないかもしれませんが、当時は常に土、日、月曜の全試合に投げる覚悟をしていました。通算60試合以上投げさせてもらった中で、効率のいい投げ方を学ぶことができ、プロに入ってからの基礎、裏付け、自信になりました」と前向きにとらえている。

 当時の立大の入学にはスポーツ推薦がなかったが、現在のメンバー表には大阪桐蔭、仙台育英、東邦、広陵など強豪校出身者が並んでいる。「当時は考えられなかったことです。県立高校出身の立場としては、ちょっとした寂しさも感じます。ゆくゆくは、県立高校出身者で主力に食い込む選手が出てきてくれたら、個人的にうれしいです」と述懐した。

1998年ベイスターズ“最後”のリーグ優勝に貢献

 立大卒業後には日本石油(現ENEOS)に入社し、野球日本代表として1996年のアトランタ五輪に出場し銀メダル獲得に貢献。同年ドラフト1位で横浜に入団すると、1998年には8勝を挙げてリーグ優勝、日本一に貢献した。今のところベイスターズのリーグ優勝はこれが最後で、12球団で最も長く遠ざかっている。翌1999年には自己最多の17勝をマークした。

 現在、立大には長男・太壱外野手(2年)が在学中。初めて生で立大のユニホーム姿を息子に見せ、「頑張れよ、という気持ちを込めて投げました」と感慨深げだ。

 一方で「現在はベイスターズの野球振興部に所属し、ベースボールスクールの運営や小学校訪問などを通して、子どもたちに野球に触れてもらおうと努めています」という。「野球少年が減っていることを如実に感じていますし、われわれの子どもの頃に比べて、全体的なレベルも下がっていると思います」と危機感を抱きつつ、「まず野球を始めてもらい、触れてもらえれば、楽しさをわかってもらえると思います。日本人の感性にマッチしたスポーツだと思いますので」と力を込めた。

 県立高校出身の星として、低迷期の立大を支え、オリンピック銀メダリスト、ベイスターズの日本一戦士にもなった川村氏。まだまだ野球への情熱は衰えていない。

(宮脇広久 / Hirohisa Miyawaki)

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