“帰ってきた”ロケットボーイズ 燕・石井弘C自信「五十嵐は150キロ出せる」

ヤクルト・石井弘寿コーチ(左)、五十嵐亮太【写真:荒川祐史】
ヤクルト・石井弘寿コーチ(左)、五十嵐亮太【写真:荒川祐史】

10年ぶりに古巣復帰し、本拠地で移籍後初勝利を挙げた五十嵐

 今季からヤクルトに復帰した五十嵐亮太投手が、4月5日の中日戦で10年ぶりとなる古巣での初勝利を、それも本拠地の神宮球場で飾った。1点を追う8回に登板し、3者凡退に抑え、味方の反撃につなげた。2日前の3日のDeNA戦で同じく10年ぶりに神宮のマウンドに帰ってきた時も無失点に抑えた。「(神宮での久しぶりの登板ということは)あえて気にしないようにしていたけど、やっぱり…(雰囲気や歓声が)すごかったね。思いっきり行きましたよ」と顔を高揚させていた。

 初勝利のヒーローインタビュー。「ただいま!」の言葉と共に上がったお立ち台では、満面の笑みと共に目に光るものも見えた。ここまでの様々な道のりが一瞬にして伝わるような、そんな瞬間だった。勝利の後は、選手とハイタッチできるのも神宮球場に来るスワローズファンの醍醐味。選手にとっても、温かく熱い声援を直接もらえる貴重な時間だ。

「ソフトバンクの時はヒーローインタビューの後、特典付きチケットを持っているファンの人たちとハイタッチするというのはあったけど、こういうフリーなのは久しぶりで。だんだん、あぁそうだったなぁって思い出してきましたよ」と嬉しそうだった。

 投げられる喜びを語る一方、ある先輩への感謝も忘れなかった。

「弘寿さんには感謝しているんです。(キャンプ以降で助言をもらってから)それ以来すごく良くなっているから」

 今季、ファンには新たな楽しみがある。神宮球場の一塁側ベンチに目を向けると石井弘寿1軍投手コーチが、五十嵐の投球を鋭い目で見つめている。「ロケットボーイズ」も形を変えて、帰ってきたのだ。

 元々はリリーフエースの高津臣吾(現ヤクルト2軍監督)につなぐセットアッパーの役割を担っていた2人だったが、高津が03年オフにメジャー移籍した翌年から五十嵐が抑えになった。66試合登板、球団新記録の42セーブポイントで最優秀救援投手にも輝いた。石井も五十嵐同様、150キロを超える直球でブルペンを支えた。球界最速のリリーフコンビ=ロケットボーイズと命名され、ファンを魅了した。05年に五十嵐が怪我などの理由から結果が残せずに、石井弘寿が新たにストッパーになったという経緯もある。その後は両者とも怪我に泣かされ、全盛期のような活躍はできなかったが、2010年に五十嵐がメジャーリーグへ移籍するまで、2人はファンの期待を背負い続けた。

 五十嵐が10年ぶりに神宮のマウンドに立った時、ブルペンの石井弘コーチの祈るような表情が印象的だった。

 腰の怪我の影響もあって、キャンプの頃は石井コーチが思っていた投げ方とはイメージが違い、悪い癖も出てきていたという。そんな五十嵐に投球フォームをアドバイス。かつて喜びも苦しみも共にしたリリーフコンビだからこそわかること、感じることがたくさんある。

「年齢やこの時期の寒さのことを考えても、力がしっかり伝わる投げ方もできるようになっているよね。今はまだ我慢しながら投げているんだと思うけど、それが無意識にできるようになると、もっと腕も振れるようになると思いますよ。暖かくなれば150キロもまだまだ出せる選手だし、リードの場面でも行けるピッチャーだから。ステップを踏んでいけば大丈夫!」

 石井コーチは太鼓判を押した。ずっと苦楽をともにしているからこそ、五十嵐の明るい未来が予見できているのだろう。ロケットボーイズは新たな形で“再結成”し、セ界の強敵に立ち向かっていく。

(新保友映 / Tomoe Shinbo)

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