7球団を渡り歩きメジャー163勝 スコット・サンダーソン氏の功績を振り返る
通算163勝143敗、防御率3.84の成績を残したサンダーソン氏
エキスポズ、カブス、ヤンキースなどで通算162勝を挙げた大型右腕、スコット・サンダーソン氏が死去した。62歳だった。
スコット・サンダーソンは1956年7月22日、ミシガン州の生まれ、バンダービルト大から、1977年アマチュアドラフト3巡目でモントリオール・エキスポズに入団。ドラフト同期にはポール・モリターやハロルド・べインズ、オジー・スミスがいる。
サンダーソンは1974年にもドラフト11巡目で指名されたことがあり、高校時代から本格派投手として注目されていた。またバンダービルト大学では全米代表にも選ばれている。
マイナーは1年余りで卒業し、1978年にはメジャーデビュー。1980年には16勝11敗の好成績。スティーブ・ロジャースや、巨人でも投げたビル・ガリクソンなどと強力な先発陣を形成した。サンダーソンは196センチの長身。150キロを超える速球が売り、やや制球に難があったものの先発投手として安定した成績を上げた。
1983年オフに、エキスポズ、カブス、パドレスが絡む三角トレードで、シカゴ・カブスに移籍。カブスでも先発で投げたが、援護点に恵まれないこともあって1桁勝利のシーズンが続いた。リグレー・フィールドが打者有利の球場であり、被本塁打が多いサンダーソンには不利に働いたとの評論もあった。
しかし、1989年に11勝を挙げ、翌年FAからアスレチックスへ。さらに1991年にヤンキースに移籍した。この時期のヤンキースは、暗黒時代と言われ、長く下位に低迷していた。91年も71勝91敗でア・リーグ東地区5位だったが、サンダーソンは孤軍奮闘し、チーム最多の16勝。チームで唯一、オールスターゲームに選ばれた。7月9日の試合には出場しなかったが、メジャー14年目、34歳にして一流選手の仲間入りをした。
サンダーソンは92年も12勝を挙げるが翌93年以降、エンゼルス、ジャイアンツ、ホワイトソックスを渡り歩き、1996年限りで引退。39歳だった。通算成績は、472試合163勝143敗5セーブ、2561.2回。防御率3.84。オールスター選出1回、2桁勝利7回。
引退後は、シカゴを中心に活動。選手エージェントとして選手のマネジメントを担当。またシカゴ・カブスのラジオ放送の解説者も務めた。癌によって62歳で死亡。若すぎる死だった。
(広尾晃 / Koh Hiroo)