斎藤佑樹に憧れた元早実エース 天然ガス営業マンから異例のMLB挑戦のワケ

米独立リーグでプレーするために渡米した内田聖人【写真:本人提供】
米独立リーグでプレーするために渡米した内田聖人【写真:本人提供】

早実、早大で活躍した前JX-ENEOS内田聖人が1日から米強豪独立L挑戦へ

 早実、早大で活躍した前JX-ENEOSの内田聖人投手が異例の米国挑戦に打って出る。1年間の会社員生活を経て、米トライアウトに挑戦。メジャー2Aクラスの強豪・キャナムリーグのニュージャージー・ジャッカルズとの契約を勝ち取った。今日1日に渡米。25歳の150キロ右腕はMLB、NPBに成り上がりを目指し、大きなチャレンジに挑む。

「WASEDA」の背番号1を着け、甲子園のマウンドに上がった右腕が、異色の挑戦だ。内田は「いつクビになるかわからない世界。でも、リーグからシーズン中にメジャーに行った選手もいれば、NPBに移籍した選手もいる。自分にできることをやりたい」と息巻いた。その視線に映るのは、さらなる高いレベルのマウンドだ。

 甲子園優勝した斎藤佑樹(現日本ハム)に憧れ、地元・伊東から進んだ名門・早実。2年夏の甲子園に出場し、背番号1を着けた3年夏には「佑ちゃん2世」と言われたこともある。西東京大会は横尾俊建(現日本ハム)、高山俊(現阪神)らを擁し、後に甲子園優勝する日大三に敗れたものの、2失点完投。高校野球ファンに鮮烈な印象を残した力投だった。

 野球人生の転機となったのは、早大3年当時に負った肘の怪我だった。思うような投球ができず、目指していた大卒プロ入りを断念。社会人野球の名門・JX-ENEOSでも調子を取り戻せずにイップスを味わい、渾身に直球が129キロを記録した試合もある。たった2年で戦力外通告を味わい、社業に専念することになった。ただ、一つの思いが胸に残っていた。

「最後の1か月だけ、思い切り腕を振れる、久しぶりに“投げられる”という感覚があったけど、遅かった。ただ、その感覚が出てきたので、何らかの形でまた野球がやりたいと思った。会社員をやりながらでも練習をしようと」

 野球に対する思いだけは捨てず、孤独な挑戦を選んだ。天然ガスの営業マンとして担当地域の東北エリアを奔走する傍ら、家に帰れば近所の競技場に走り、練習した。しかし、相手がいるわけではない。広いスペースを使い、自費で買ったネットを立て、平なコンクリートの足場から黙々と投げ込んだ。

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