もう1度見たかった「上甲スマイル」 済美・上甲正典監督の厳しくも優しい野球人生

選手をいかにリラックスさせるかが監督の仕事

 愛媛の宇和島東、済美で監督を務めた上甲正典氏が9月2日に胆道がんのため、この世を去った。67歳だった。4日に行われる告別式では今年のドラフト1位候補で、上甲監督とともに戦ったエース・安楽智大主将(3年)が弔辞を読む予定。2日午後、安楽は亡き指揮官と涙の対面をした。

 上甲監督は練習の鬼とされながら、甲子園のベンチでは「上甲スマイル」と呼ばれるほど、笑顔で選手を出迎え、グラウンドに送り出していた。それは箕島の名監督、故・尾藤公氏の影響が大きかった。上甲監督は「甲子園に来たら、選手をいかにリラックスさせる方法でやるかが監督の仕事。鏡の前でどう出迎えたらいいか、笑う練習もしていた」と明かすなど、厳しさの中にも優しさのあふれる監督だった。

 宇和島東の監督時代から教員ではなく、他の仕事(薬店勤務)をしながら母校の監督業を務めていた。当初は高校野球=教育という観点からは離れていると批判的な意見もあったが、上甲監督は一社会人として自立させることを大きな目的とし、野球と一緒に人間性の指導も始めた。

 教員でないからこそ、教育について人よりも貪欲に学び、いつしか生徒の教育に対しては他の教員よりも厳しい目を持つようになっていった。これも同じように教員ではなかった名将・尾藤氏の影響を受けていた。

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