「野球少年の未来を作りたい」 巨人職員になった東大医学部&野球部主務の挑戦

巨人の営業企画部に所属しながら「eBASEBALL プロリーグ2019」に参戦する坂東秀憲さん【写真:編集部】
巨人の営業企画部に所属しながら「eBASEBALL プロリーグ2019」に参戦する坂東秀憲さん【写真:編集部】

読売巨人軍・営業企画部 坂東秀憲さんは11月3日に「eBASEBALL プロリーグ2019」に参戦

 読売巨人軍・営業企画部、入社3年目の坂東秀憲さんは球団職員ながら、eスポーツリーグ「eBASEBALL プロリーグ2019」のドラフト会議で巨人から指名され、11月3日に開幕する大会に“選手”として出場する。巨人ではグッズの企画や開発、版権管理などの業務に当たっている坂東さんは、高校野球未経験で東大野球部に入部、医学部を卒業し、読売巨人軍に入社した。なぜ、野球の仕事に携わるようになったのか。素顔に迫った。

 小学校の卒業文集。将来の夢を「プロ野球のスコアラーになりたい」と記した。小学4年生の時に始めた軟式野球。プレーすることも好きだったが、見ることも大好きだった。父の影響で幼い頃から球場でプロ野球を観戦した。中でも記憶に残っているのは2000年の日本シリーズ、巨人-ホークスだった。あれから19年後。自分が同じカードのシリーズに携わる仕事をしているなんて、想像もしていなかった。

 野球選手を夢見た中学時代。坂東さんに予期せぬ事態が襲った。日光を浴びると偏頭痛に苦しめられる原因不明の病気に。「体育の授業もしんどかった」。投手だった坂東さんが試合前に外野でキャッチボールをしていると「捕手のミットが見えなくなった」と目の前が暗くなることもあった。医者だった父が病院を探してくれて、MRI検査も受けたが、治療方法は見つからない。野球を続けられる状態ではなかった。

 中高一貫校だったため、中学のチームメートが高校の野球部に入部する中、坂東さんは、「チームに迷惑をかけたくないから」と野球部に入ることはしなかった。授業が終われば、自宅に帰る。勉強とゲーム、テレビを見る日々を繰り返した。

 だが、野球への思いはそう簡単には消えなかった。

「野球っていいな、って改めて思いました。高校2年生の頃、体育の授業で日光の下でも(原因不明の病気の)症状は出なくなったので、もう1回、野球をやりたいなと思うようになりました。大学でやろう、と。勉強する意欲が湧きました」

 大好きな野球への思いが、受験へのエネルギーとなった。目指すは東京大学。東京六大学リーグでプレーすることを思い描いた。「現役にこだわった」と見事に難関の東大にストレートで合格した。2年時の学部選択で医学部を選択したのは、別に医師を志すつもりはなかったが「人生について考えた時、幸せや仕事を通したやりがいを手にするには、健康が一番重要。健康についての興味が出てきた」から。東大医学部生になっても、野球関係の仕事に就く夢は変わらずに、抱いていた。

 念願の東大野球部への入部。4年ぶりに大好きな野球が存分にできる。坂東さんは伝統のユニホームに身を包み、再スタートを切った。しかし、ブランクは大きかった。

「大学で初めて、硬式野球をやったので、(二塁や三塁を守っていて)満足にボールが投げられなかったんです。東大は野球経験がなくても基本的には入れますが、甲子園出場した選手や高校時代に名門で主力だった選手もいる。同期には(社会人野球の)東邦ガスで今もプレーしている飯田裕太がいたんですが、彼なんて、守備がめちゃくちゃうまかったです」

プレーヤーを諦め東大野球部の主務として奔走、就職浪人の末に読売巨人軍に入社

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