秋山翔吾加入のレッズはMLB「最古の球団」 「ビッグレッドマシン」70年代に2度世界一
レッズにとって秋山翔吾が初の日本人メジャー選手
西武から海外FA権を行使した秋山翔吾外野手の入団が決まったシンシナティ・レッズはMLBでも屈指の老舗球団だ。MLB30球団の内、ここまで日本選手がメジャー契約で在籍したことがない唯一の球団でもある。
本拠地のオハイオ州シンシナティはオハイオ川の水運を利用して栄えた商工業都市。「プロクター&ギャンブル」の発祥の地としても知られる。現在、市の人口は約30万人だが、市域人口は210万人を超す。そしてアメリカでももっとも古くからメジャーリーグ球団が存在した都市だ。
このシンシナティには19世紀に3つの球団が設立された。1869年にできたシンシナティ・レッドストッキングスは最古のMLB球団とされるがボストンに移転。のちにアトランタ・ブレーブスとなる。1880年にできた初代シンシナティ・レッズは消滅。そして1882年にできたシンシナティ・レッドストッキングスが、現在のレッズにつながっている。
1890年からナショナル・リーグに属し、1919年に初のリーグ優勝を果たす。だが、長く中堅チームにとどまった。
しかし、1970年に就任した名将スパーキー・アンダーソン監督のもと、1970年代に6回の地区優勝、4回のリーグ優勝、2回ワールドチャンピオンに輝く。ジョニー・ベンチ、ジョージ・フォスター、ピート・ローズ、ジョー・モーガンらの強力打線とエースのトム・シーバーの活躍で全盛期を迎えた。
チームは「ビッグレッドマシン」と呼ばれ全米中の人気を博した。1978年オフには、シンシナティ・レッズは日米野球のために来日し、日本代表や巨人などの日本チームを相手に14勝2敗1分と圧勝した。
1980年代に入るとレッズは再び低迷する。1987年には監督のピート・ローズが野球とばくを行って永久追放されている。1994年にア・ナ両リーグが3地区に分かれると、レッズは中地区所属となる。2004年には現在の本拠地、グレート・アメリカン・ボール・パークが開場した。
最初にできた球団と現在の球団は直接の関係はないが、MLBではシンシナティ・レッズは「最古の球団」とみなされ、1985年まではMLB球団の中で最初に開幕戦を行っていた。当時、レッズの開幕戦は「トラディショナル・オープナー(伝統の開幕戦)」と呼ばれた。