「必然しかないかもしれない」 阪神・藤川球児が感じる“故郷”と再集結のタイミング
NPB史上4人目となる日米通算250セーブまで7つ「ま、1つずつですよ」
「ないね。個人的には全くない」
あと7つに迫った日米通算250セーブを意識するかと聞かれると、阪神・藤川球児は笑いながら即答した。NPB史上を見ても通算250セーブを記録しているのは、岩瀬仁紀(407)、佐々木主浩(同381)、高津臣吾(日米通算313)のみ。藤川が達成すれば史上4人目の快挙だ。となれば、もちろん周囲は放っておかない。宜野座でのキャンプではほぼ毎日のように取材が入っていたという。
「記録にスポットが当たった取材機会が多いから、答えるうちに自分で考える機会は増えましたよね。でも、プロになった時にそこを目指していたわけではないし、ゴールでもない。ま、1つずつですよ」
日米合わせて22年のプロ生活。阪神では最多セーブに2度輝き、リーグ優勝も2度味わった。一方、アメリカでは右肘を故障し、トミー・ジョン手術を受けてボールさえ握れない日々も経験した。山あり谷あり。酸いも甘いもかみ分けながら積み上げてきた250セーブだが、感慨はゼロ。ただ、「その日が来た時には」少し話は変わりそうだ。
「初セーブを挙げた時のキャッチャーだった矢野(燿大)さんが監督でいてセーブ機会を作ってくれたり、ピッチングコーチはドラフト同期の福原(忍)さんだったり。野球選手として生まれたところに、自分も含め一度は外に出た人が戻ってきている。その日が来た時には、その瞬間だけ阪神タイガースに“故郷”を感じるのはあるかもしれないですね」