日本シリーズでは完全試合も 1人での達成よりレア、巨人が「継投ノーノー」
セ・リーグでは初の偉業、過去3例のうち2例は戦前の一リーグ時代
6月14日の交流戦で、巨人はソフトバンクを3-0で下した。巨人投手陣は3人の継投でソフトバンク打線を無安打に抑えた。継投によるノーヒットノーランは史上4例目、セントラル・リーグでは初だ。
3例のうち、2例は戦前の一リーグ時代のもの。
1941年6月22日 後楽園球場
黒鷲
010 001 000 | 2
000 000 000 | 0
名古屋
黒鷲投手成績
◯中河美芳 5回1/3 0被安打5与四球2奪三振 自責点0
石原繁三 3回2/3 0被安打3与四球3奪三振 自責点0
1941年8月2日 西宮球場
名古屋
000 000 000 | 0
000 010 01X | 2
阪急
阪急投手成績
◯江田 孝 7回2/3 0被安打5与四球4奪三振 自責点0
森弘太郎 1回1/3 0被安打0与四球0奪三振 自責点0
戦前の2例は同じ年の40日余りの間に記録された。いずれも名古屋(今の中日)が喫した記録。当時は、ノーヒットノーランは記録として良く知られていなかったために、指揮官は投手交代に躊躇しなかった。
中河美芳は名一塁手でもあり、二刀流で活躍。戦死したが、野球殿堂入りしている。両試合の救援投手は今の規定ならセーブが付いていた。