イチローのMLBデビュー戦で蘇る天才打者の心の来歴

マリナーズの会長付特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏【写真:Getty Images】
マリナーズの会長付特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏【写真:Getty Images】

マリナーズ地元局がイチロー氏がデビューした2001年4月2日のアスレチックス戦を放送した

 新型コロナウイルスの感染拡大により、26日(日本時間27日)に行われる予定だった大リーグ2年ぶりの開幕戦同時開催は全て消滅。大打撃を受けたライブ中継を行う電波媒体は、苦肉の策で過去の名場面集やドキュメンタリーの再放送を組み入れた編成にシフト。シアトルではこの日、昨春に東京ドームで引退したマリナーズ球団の会長付特別補佐兼インストラクターを務めるイチロー氏のデビュー戦が再放送され、夜にはラジオでも流された。

 本サイト既報のとおり、マリナーズ戦を中継する「ルート・スポーツ・ノースウエスト」が厳選した2000年代の本拠地開幕戦8試合の第1弾、「イチローデビュー戦」が再放送された。2001年4月2日(同3日)、4万5000人の大観衆で埋まったセーフコフィールドでのアスレチックス戦で、イチローは中前打とバント安打で2安打を記録。試合前の放送ブースでマイクを手にした、今は亡き殿堂入りアナウンサーのデイブ・ニーハウスは「日本から来た7年連続首位打者の実力をテストする試合だ」と切り出し実況を始めた。

 以前、イチローがこう漏らしたことがある。

「この頃は『日本の首位打者がなんぼのもんだ』というチームメイトの視線を感じてました」

 吐く息が白い気温7.7度のフィールドから始まったイチローの聖地挑戦。10年連続シーズン200安打を球史に刻むなど、技術の精髄を一振りに込めた打撃で数々の金字塔を打ち立てた“振り出し”の試合を見終えると、記者はイチローの心の来歴をたどり出していた。

 イチローは2012年のシーズン途中に志願してヤンキースにトレード移籍。その後、ナ・リーグのマーリンズに移り18年にマリナーズに復帰した。古巣復帰会見となった3月7日、輝かしい実績を積み上げたイチローは過去の自分に触れ、こう吐露している。

「自分のことだけしか考えられなかった」

 結果を出さないと消えていくという呪縛にずっと縛られていたと、胸の内を露にした理由を明かしているが、それから3週間後、地元ファンから万雷の拍手で迎えられた本拠地開幕戦を終えたイチローはしみじみと言った。

「この先はシアトルを離れたくないという気持ちになる」

 そして昨年の3月21日。東京ドームでのアスレチックス戦出場を最後にバットを置いたイチローは、深夜の引退会見を結ぶ記者の「孤独感」についての質問に真情が宿る言葉で返した。

「現在それは全くないです。それとは違うかも知れないんですけど、メジャーリーグに来て、外国人になったこと。アメリカでは僕は外国人ですから、外国人になったことで人の心をおもんぱかったり、痛みが分かったり、今までなかった自分が現れたんですよね。体験しないと、自分の中からは生まれないので。孤独を感じて苦しんだことは多々ありました。その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだよと今は思います」

 躍動する19年前の背番号「51」が、心のひだを幾重にも織り込んだ46歳のイチロー氏と重なってくる3時間半を見届けた。

 天才と謳われた打者は、今年2月に学生野球資格回復を認定され、やがて若い選手の心情に寄り添える指導者になるのであろう。そこに思いを馳せると、“世紀の天才”アインシュタインの言葉に出くわした。

 曰く、

「人の価値とはその人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる」

(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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